気合い

夕星のともり帰燕の塒入

夕星(ゆうづつ)、つまり宵の明星が際だってくる時合い。

夕方5時頃から畑へ出て、1時間あまりたっぷり汗をかいて戻った空に輝いている。
昼間の暑さはどこへ行ったやら、吹く風は涼しい。
そろそろ秋雨前線がやってくるとかで秋の耕しは明日中に済ませたいと思うが、あの固い土では雨を待ってからのほうがいいとも思えてくる。
耕した後はどんな堆肥にするか、などあれこれ考えるのも楽しい。
さあ、明日から九月。また気合いを入れて頑張ろう。

また来年

遡り来し川をルートの帰燕かな

早朝に燕の群れが電線にとまっている。

それも家の真ん前だ。
二、三年前にもこういう景色は見た。ここら辺りで育った燕たちが南へ帰る第一歩ではないかと思う。
盆地では南への途上に集まると場所として平城京跡が有名だが、この子たちがわざわざ平城京跡に戻るのは不自然である。
春先早い時期に海から大和川沿いに登ってくる燕を見たので、この子たちも大和川へ出て大阪から淡路、四国経由のルートをたどるのではないだろうか。
素人がこんな推理を楽しむことができるのも、身近にこんな珍しい集合風景を目撃できるからでたいへんありがたいことである。
今シーズンは燕をあまり見ないと嘆いていたが、知らないどこかでしっかり子育てしていたのだろう。
来シーズンまでこの町内は燕のいないブロックになる。

自然のリズム

電線に数を増しゆく帰燕かな

びっくりした。

一陣といっていいくらい早い帰燕である。
明日からいよいよ本格的な梅雨入りするというその日の昼、突然数羽が隣の更地の上を旋回はじめたのだ。数にして10羽くらいだろうか。二三年前にも、その時は早朝だったが、やはり十数羽の燕が電線に群れてせわしく旋回していたのを目撃したことがある。
翌日には街からすっかり姿を消して、あれが帰燕グループの集合だったのだと知る。
そして、塒入りで有名な平城京にでも向かうのだろうか。
なにせピーク時には数万羽が集まっては、次から次へ南へ帰って行くというから。
今回も明日からは姿を消してしまうことだろう。それが合っていれば帰燕第一号ということになる。夏はまだ中盤というところで、「帰燕」はもちろん秋の季題だが、自然のリズムというものはそういうものなのだ。

一丁目寂し

本邦の南晴れたる帰燕かな
もう一回軒の巣かすめ帰燕かな
電線に見馴れぬ数の帰燕かな
若鳥の親より太き帰燕かな
この町で分隊組める帰燕かな
燕去つて寂しくなりし一丁目

「電線に鳥がとまってるよ」

そういう声に起こされて、南西の空を見たら雲ひとつない秋のような青空だ。
まるで次の句を思い起こされる朝だ。

一天の翳りなきとき帰燕かな 桂信子

最初の句はこれに類すると言われそうだが、あえて。

さて、その電線の鳥だが、これは幾分大きめで寝ぼけ眼には何の鳥だか判別がつかない。
そこで、外へ出ると、お向かいの燕の夫婦が巣作り、子育てのときにさんざんつかまっていた電線に、20羽ほどの燕が止まってはまた周りを旋回している。そして、これがいうところの帰燕らしいと悟った。初めて見る光景だ。
起きがけに大きく見えた鳥は若鳥らしいと悟った。
お向かいの巣の子作りは一回だけだったので一家族で6,7羽程度。ということは、この辺りに営巣して子育てを終えた四家族くらいが一分隊として今日発つと決めたらしい。
朝食を終わって外に出てみたら、電線にはもう燕の姿はなかった。ひとまず淀川にでも塒求めて向かったのかな。