オートマチック

ポケットの小銭まさぐる手套かな

手袋というのは手先の感覚が鈍る代物である。

けっこう薄い素材であっても物をつまむのには苦労する。
靴紐を結ぶとか、ポケットの物を取り出すとか、じりじりとさせられる。そんなことなら最初から脱いで片付ければいいのだが、裸の手ならなんということもないのでオートマチックに触ってしまうのである。
今日もまたああ面倒と思いながら、ポケットの鍵を探していた。

愛用品

片手袋懸けて飛出坊やかな

散歩途中など持ち主不在の落とし物を見かける。

あるときは落とし主が発見しやすいように目立つところに懸けてあることがあるが、地面よりは目の高さに少しでも近づけて置くのが普通である。電柱の支柱とか歩道に面したお宅の塀とか、そのときどきでいろいろな場所が想定されるが、一番多そうなのが歩道の柵であろうか。
いずれにしても小さな子供さんのものなど可愛いものが多く、さぞ愛用品であろうと持ち主が見つけてくれればと念じるのである。

消耗品

ゴム裂けて手袋沁みる水仕かな

毎朝の日課。

起きたらまず猫どもの餌やり、後片付け(みんなきれいに平らげる)。それが終わるとトイレの交換、掃除である。
冬は朝早くのトイレの水洗いはさすがにつらい。
最近目には見えない亀裂があるらしく、ゴム手袋に水が沁みるようになってさすがに新しいものを買ってもらった。
消耗品とはいえ案外簡単に使いものにならなくなるものだと思う。

用心

手袋をはめてごみ出す街の角

朝早くから鴉が集まっている。

どうやら生ゴミ収集があることを知っているようである。指定の場所に黄色の網が広げられるとやがて突くべき餌がやって来るのを知っているのだ。
人通りのあるところで、コンビニの弁当の殘りなどを置いて行く不届きな輩もいるようでそれを狙っているのだ。
今日はぐんと冷え込んだ朝で、ごみ出しにも手袋をしていった。
明日は寒気団が押し寄せ、吸い込まれるように列島を覆うとか。一気に寒波にさらされてしまうようである。用心、用心。

汗ばむ

手袋を脱いで大手の日和かな

今日も暖かい日だった。

ここのところ散歩には手袋が欠かせなかったが、今日くらい暖かいと手袋はおろか、ダウンの防寒ウェアすら不要だった。おかげでいつもより軽装で足取りも軽く。10分も歩くと汗ばんできた。

変われない

手袋を脱いで一票投じけり

師走の総選挙。

家の前は投票所に通じる道だが、朝から見ていてもあまり足を向ける人がいなかったような気がする。30代の家族が多い住宅地なので、教育・子育てはじめいろいろ政治に言いたいことが多いと思われるのだがこれはどうしたことだろう。案の定投票所は大半が高齢者。
若い人たちの投票率が高齢者の倍くらいあれば多少は政治も変わると思うのだが。間もなく開票が始まる時間だけど、時計の針が昔に還るのをみるのは空しいものだ。テレビは消しておこう。

彷徨う

手袋や散歩復路の電車にて

伝説の龍田と思われる関西本線三郷駅周辺を散策。いきなり駅舎の横に能因法師の歌碑があった。
光の具合か肉眼でも読みにくかったが。

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり・・・・・能因法師

同駅から現在の龍田大社に向かって100メートルほどいくと神南備神社があった。


神南備とは神のおはすところという意味で、丘の南端麓に置かれる。
ということは、この杜に続く尾根をたぐっていくと三室山(みむろ、みもろも神南備と同義)に到達することになる。
ここを辿ってさらに留所(とめしょ)山まで登れば難波と大和を結ぶ古道龍田越えらしい。
ここで難波へ向かう人を送ったり、あるいは向かおうという旅人自身の歌が数多く残されている。

同駅から西方向へ50メートルほど、住宅団地入り口に、

我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし・・・・・高橋虫麻呂(万葉集巻9・1748)

犬養孝博士の書だそうだ。

ところで、「神南備」だが万葉集には龍田の神南備だけで10首はあるらしい。
虫麻呂歌碑からさらに西へ50メートルほどいった線路際に磐瀬の杜公園が移されてあり、中に一首。

神南備の岩瀬の杜の呼子鳥痛くな鳴きそ我が恋まさる・・・・・鏡女王(巻8・1419)

なにやら源氏博士のコメントもいただけそうであるが。

このあと、龍田の滝があったと思われる亀の瀬方面へ行こうと思ったが時間切れ。おまけにくたびれたので三郷駅から王寺駅まで一駅電車で戻ることにした。
このあたり一帯はまだまだ探索する必要がありそうで、もう少し暖かくなったら峠越えの道を探そうと思う。