几帳面

掃除機の回り道する春炬燵

暖かくなると邪魔に見えてくるものがある。

炬燵がその代表であろう。
部屋の真ん中で大きな顔をされれば除けて通るも面倒だし、まず掃除機をかけるにも四角く掃かねばならないとあって手間が増える。
こんなとき自動掃除機ルンバだったらどういう動きをするのか聞いてみたくなる。やはり辛抱強く角も四角四面に几帳面にきれいにしてくれるのだろうか。

ダブル暖房

猫どもの抜け毛まるけも春炬燵

終日すかっとしない曇天。

久しぶりに霜が降りたので放射冷却すなわち高気圧イコール晴れるの期待もむなしく、風は冷たく体の動きもにぶくなるはで散々な日曜日であった。
二月も終わろうというのに昼間から床暖、エアコンのダブル暖房で節電、省エネどころではない。
床暖の上に置いた炬燵はいつのまにか猫四匹の居場所となって人間の入り込む隙間はないし。
エアコンのおかげで顔はほてるは、足はぽかぽか。昼寝モードに陥らんとするもこれではいかんと庭仕事に励んでついに夜を迎えることとなった。
明日は晴れて気温も十度を超えるということだが、そうなるといよいよ杉花粉多しという具合で痛し痒しである。
ま、これで春が一段進むということだから我慢しいしい、文句ぶつぶつやっていこうとしようまいか。

せめての救い

先客の猫に気兼の春炬燵

足を突っ込めない。

先客の猫どもがめずらしく揃ってもぐり込んでいて、足の置き場がないわけだ。
かくして炬燵のへりに胡座かいて、得意の昼寝もままならない。
炬燵と言っても、床暖房の上にマットを敷いてそのうえに炬燵蒲団をかぶせるだけだから、尻はなんとか温かいのがせめての救いとも。

5年で何が変わったか

春炬燵座り直して黙祷す

5年前の今日、テレビに釘付けであった。

5年後の今日もテレビの前に座って、あの日のことを思い出していた。
午後2時46分、テレビの呼びかけにしたがって黙祷を捧げる。
さすがに胡座はかいてられずに正座して居ずまいをただしたのは言うまでもない。

思えばこの5年で身辺にもいろいろ変化があった。
このブログの開設、当地への移住、母を看取り、愛猫を相次いで失い、新たな猫を拾った。
いつの間にか毎朝心経を唱えるようにもなっている。
そのうちだんだんと日々が淡泊になるというか、毎日同じようなことの繰り返しで、気持ちがせくということもなくなっている。
いいことなのかどうかは分からないが、平穏とはそんなものなんだろう。