春炬燵座り直して黙祷す
5年前の今日、テレビに釘付けであった。
5年後の今日もテレビの前に座って、あの日のことを思い出していた。
午後2時46分、テレビの呼びかけにしたがって黙祷を捧げる。
さすがに胡座はかいてられずに正座して居ずまいをただしたのは言うまでもない。
思えばこの5年で身辺にもいろいろ変化があった。
このブログの開設、当地への移住、母を看取り、愛猫を相次いで失い、新たな猫を拾った。
いつの間にか毎朝心経を唱えるようにもなっている。
そのうちだんだんと日々が淡泊になるというか、毎日同じようなことの繰り返しで、気持ちがせくということもなくなっている。
いいことなのかどうかは分からないが、平穏とはそんなものなんだろう。
あれから5年、いつもと変わらない朝が来た。
変わらないこと、当たり前の日々がかけがえのないものに思える。
今日が明日へと続く幸せ。
悲哀を勇気に、宿命を使命に、祈りの一日が過ぎようとしている。
いまだに将来の目処が立たないまま仮設暮らしで苦しんでいる人たちを思えば、あれやこれやで不満言ってられないですよね。
毎日無事過ごせることが一番。
5年ですね。溜池の勤め先で夜を明かしました。TV見ながら震えてました。あれから5年、私の環境もすっかり変わりました。日々明るく穏やかに過ごせればと思っています。
テレビやラヂオでも会社に留まるよう呼びかけましたが、ほとんどの人は普段の何倍も掛けて帰宅しようとしましたね。家族のことがよほど心配だったのでしょう。
自分は自宅にいて、テレビの信じられない光景に声も出ませんでした。