巻き戻し

聞き馴れぬ語学放送春眠し

ラヂオ第二を聞くともなく聞く。

童話あり、外国語ニュースあり、カルチャーラヂオあり、音の風景、ラヂオ体操などなど、しかし圧倒的に多いのが語学番組である。英語にかぎらず、世界の主な言語を網羅しており、英語などは基礎から上級ビジネス英語まできめ細かい。
もしも、ラヂオに対座して真剣に耳を傾けていれば各国の言葉を少なくともヒアリングくらいできそうなものだが、そこは「ながら族」の悲しさ、どんな番組もBGMのように聞き流しているわけだから身につくわけはない。
悲しいかな、この齢になってまるでかんたんに睡眠術にかかるように気がつけば居眠りしていることが多くなった。
とりわけ、朝の日課を終えて一息ついているとき、番組がひとつ二つ先に進んでいることもある。デジタルで聞いているので巻き戻せばいいのであるが、そこまでの気力も起こらない春である。

習慣化

春眠をなでゆく猫の息吹かな

眠い朝が心地いい春である。

その深い眠りをむさぼっているうちに、やがて猫に鼻息をかけられれば終わることになる。
家人にたたき起こされるに比べると憎めないのがいい。うつらうつらしながら猫の喉などをあやしているうち、不思議に目が覚めてしまうのである。
目が覚めたらつぎは朝飯を早くせいとあおられるのであるが、いい意味で一日のリズムをきざむ第一歩となる。あとは自然に体が動いて、猫トイレの交換、同掃除、そしてその間用意してもらっている朝食のテーブルにつく。そのあとは身支度をととのえ、勤行、猫のブラッシング、部屋の掃除、ゴミの日はごみ出し。毎朝この繰り返しである。どれかひとつでも順序が狂ってしまうと、なかなかリズムを取り戻せない。そのくらいルーチン化、習慣化しているわけだ。
これらが全部終わるのが八時半頃。ようやく自分の時間となるのである。

腹空かぬとき

手の届くものを枕に春眠し

ちょっと油断するといつの間にか眠っている。

30分程度の軽い眠りならいいそうだが、それよりも深く長くというのは認知症につながるそうである。しかし、眠いものは眠い。あれこれと済ませて、ちょっとソファにもたれているうちに今日も1時間以上は気持ちよく寝ていた。
きがつけば、いつの間にかクッションなどを枕に横にもなっている。冬ならとてもこうは行かないが、これが春というものである。
ただ、年齢とともに、昼寝してしまったら腹も空かなくなって夕食の量をこなすのも重くなってきた。
こうして、確実に体は老いを深めていくのだろう。