健在

春陰のなほもて深き下葉かな

コントラストが深い。

この季節は新緑と深緑の落差が大きいのが魅力で、どちらかというと人は新緑、若葉のほうに目が向きがちだ。
しかし、今日のようなどんよりとして今にも雨が来そうな一日ともなると、その深い緑があやなす陰影こそきわだって美しく見えることがある。
たとえば、半日陰がいいとされる紫陽花も芽吹きはとうに終えて新しい葉を展開中だが、それが大きな樹の蔭にあると深緑の存在として訴えてくるものがある。
西洋化によって日本文化の「陰翳」という美意識が失われつつあるのを嘆いたのは谷崎であるが、自然にはまだまだ健在の美しさが残されており、それをまたしばらく眺めて至福の時間が流れることを再認識した日である。

先取り

春陰や目詰りの如雨露もてあます

曇かつ寒い日であった。

ときどきはお日様が顔を出すのではと期待していたが。結局一日中北西風が吹いてようやく厚着からおさらばした肉体が震える。
明日は昼から雨、ゴールデンウィークも雨の連続らしい。
GW並の暖かさ、暑さをすでにいただいているので文句は言えないが、当てが外れそうな人の嘆きも聞こえそうである。ただ、連休を先取りして今は東北の長旅を続けている、当ブログにコメントをいただく渓山さんの高笑いは止まらないだろう。

禁札

春陰の墨札にじむ御陵かな

勘違いしていたようである。

「陰」のイメージから、ものの陰に「春愁」を思い浮かべるような心象的なものとばかり思っていたが、実は花曇りのような曇りがちな春の天気のことだった。花曇りのようにときを限定されることはない。
さっそくチャレンジしてみたものだが、御陵前には必ずといっていいほど掲げられている、宮内庁の禁札を詠んだものである。
曰く,鳥や魚などの生き物、植物を採取してはいけない。立ち入ってはいけない、などと書かれたものである。
墨字も板にしみこむように、風雪の重みを感じさせるものが多い。

術前説明

春陰の模型をさして患部よと

インフォームドコンセントと言うのだろうか。

診察室に通されて、診察医から此度の手術内容の説明を受ける。
患部部位がどのあたりで、それを臓器全体摘出するのか、あるいは部分的な切除で済むのか、などの手術の方法や、それにともなう効果、危険性の有無など、安心して担当医に任せるには十分なコミュニケーションをはかる必要がある。
レントゲンやCTスキャン、エコー検査の画像などで具体的な部位が分かるが、それを臓器や骨格などの模型で説明されるとなお分かりやすい。

沈静化を待って

春陰や改修終えし大天守

かつての輝きを取り戻したという。

姫路城。「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」というそうだ。瓦留めにとどまらず、窓の格子から庇の裏まで、すべて漆喰で塗り固めていて「白鷺城」の面目躍如というところ。
だが、この白さも数年限りだと言うから驚く。漆喰は黴に弱く防黴剤を塗ってあるとはいえその効果は長続きしないかららしい。そうと聞くと、この真っ白な姿を目に焼き付けるべく早めに行かなくてはならない。
とはいえ当面はブームで混むだろうから、それが落ち着く頃合いをひそかに探ることにしよう。

祈祷寺の桜

春陰やほほ紅くかに童子像

境内500本の桜が満開だということで安倍文殊院に行ってきた。

安倍文殊院は切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三大文殊のひとつに数えられている。また安倍一族ゆかりでは大化の改新後左大臣となった開基・阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)をはじめとして、阿倍仲麻呂、安倍晴明などの人材を輩出している名門であるとともに、寺所有の寺宝、文化財も多い。
当の文殊菩薩さんだが、快慶作。この2月脇侍含めて一括で重文から国宝に格上げされたそうで、唐獅子にまたがって諸国を説法に出かけられているお姿をしておられる。雲海を越えて遠くまで、という意味で「渡海文殊」さんと呼ぶそうだ。

掲句は菩薩さんの脇侍のひとつ「善財童子像」(快慶作)で、両頬の塗装がはげた部分がまるで紅い頬に見えたりするのが童らしかったり、両手を合わせて歩きながら振り向く姿など、リアルでしかもあどけなさあふれる姿に心引かれるものがあった。菩薩さんに教えられた人に会いに行ってはひたすらその人に教えを乞い、やがては悟りを得た喜びを表しているということだ。

清明堂から耳成、二上
安倍晴明が天文占いをしたとされる場所に晴明堂が立てられていた。そこからは足元に「ジャンボ干支花絵」、桜に包まれた金閣浮御堂(仲麻呂堂)、遠くには耳成、二上の両山が望めた。夕方まで粘れば二上に沈む夕陽が見えたかもしれないが。