走り去る

しぐるるや傘だれも持ち合はすなく
持ち合はする傘なく宇陀の初時雨

宇陀の時雨だった。

句座がはねて外へ出たらぱらぱらと来たのだった。先ほどまで窓から冬日がさしていて、意外に温かい日だなと思っていたので意外だった。山がちな地形を縫って、走り去ってはまた通り過ぐ。そんな繰り返しが今年も見られるのだろう。

片時雨

葛城は時雨れ生駒は日当たれる

大神神社で「おんだ祭」があるというので三輪へ出かけてきた。

途中葛城山へ目をやると金剛山にかけて雪で真っ白だが、山頂から次から次へと雲が降りてきて西へ向かっている。葛城市や五條市に時雨を降らせているようだ。多分1,000メートルほどの山を越えるとき雪雲を生むのだろうから、大阪府側は晴れているか曇っているかに違いない。このように、山の一方が時雨れていて片方が晴れている場合を「片時雨」と言う。
一方の生駒山はと言えば、雲の切れ間から明るい日差しさえさしている。同じ盆地内でもこの対照的な天気はよくあるパターンのようだ。

帰りもまったく変わらない景色だった。

関西人と時雨

北の山飲んで時雨のくる兆し
背の山を飲んで時雨の兆しかな

家の北方にあたる山が黒い雲にみるみる覆われてくる。

これはもうすぐ来るぞと見ていたら、やがてたちまち大粒の雨が落ちてきた。
時雨をもたらす雨雲が大阪平野、生駒山地を超えて奈良盆地をよぎっていくのだ。家からは葛城山系を越えた時雨が多武峰方面へ向かう様子を何回か目撃している。いっぽうわが家を通る時雨は信貴山を越えてくるから、方角的には北西方面からやってくることになる。
散歩など外出する場合は玄関に出たらまずは北西の空を見るのが習慣となった。

冬の間乾いた晴天が続く関東に住んでいた時には「時雨」と言ってもピンとこなかったが、関西にきてからは実感することが多い。おそらく一週間に一回くらいの頻度で時雨が見られるのである。「時雨」を季題として詠むならばきっと関東よりも関西人のほうが豊かな表現ができるのではないだろうか。

元伊勢

千木高き元伊勢たたく時雨かな

元伊勢の破風板たたく時雨かな

元伊勢のみるまに烟る宇陀時雨

野舞台を吹きぬけてゆく時雨かな

朝目を覚ますと日の出前の東南の空がみるみる赤く輝いてきてそれは美しい。

これが「かぎろひ」というのかもしれないと思うと、むしょうに宇陀の「かぎろひの丘」に出かけたくなった。
ただ、きれいな朝焼けでてっきり今日はいい天気になるかと思ったがそうではないらしい。家を出た昼過ぎには吉野大峯の遠嶺がみるみる時雨でかすみ、宇陀の空もなんだか暗い。
おまけに気温はもう真冬かと思われるように寒いし、別の日でもいいかと思うのだが朝から行くと決めていたので敢行だ。

柿本人麻呂のかぎろひの歌が詠まれたのが旧暦11月19日だというので、その日に当たる今月19日には「第四二回かぎろひを観る会」があるのだが、なにせ日の出前のかぎろひを観るというので当然未明のイベントなのだ。国ン中よりさらに底冷えのする宇陀とあっては寒さも半端ではないだろうと思うと最初から腰がひけてしまう。そこでせめて場所だけでもこの目で確かめるべく、家人を誘って出かけたのであるが。

案の定、宇陀にふみこんだとたん道路には雨が降った跡がありいやな予感がする。駐車場に着いた頃には北の方角を時雨が通過している模様。「かぎろひの丘」は無事にすんだが、すぐ近くにある元伊勢のひとつ「阿紀神社」に着いてしばらくしたらとうとうぱらぱらと霙模様の雨が降ってきて、銅葺き神明造りの社殿をさらに黒く濡らすのだった。

この阿紀神社には立派な能舞台があるが、これは一時この地を治めた織田の末裔が設えたもので能楽の奉納が大正まで続いていたというが、最近また「あきの蛍能」として装いもあらたに再開されているという。そばを流れる川に蛍を飼っていて能楽の途中で灯りを消して楽しむというが、さぞ幻想的な光景にちがいない。

冬の雷

朝よりの時雨のはての闇夜かな

町の一部が停電しているという。

今日は朝から終日典型的な時雨模様。雨が止んでほんの一瞬日が射したかと思うと、暗い雲が西側に現れまた雨を降らす。こんな繰り返しなのでとうとう一日中散歩する機会を失ってしまった。
おまけに、夕方からは雷がとどろくようになって、その落雷のせいかどうか町の広報スピーカーから停電情報が流れてきた。

また明日も不安定な天気らしいが、夏だけでなく冬になってもまだまだ異常な気象が続きそうな、そんないやな予感さえしてくるのだが考えすぎだろうか。

雲の柱

ジオラマに時雨過ぎゆく平群かな

大和高原から天理に下る峠からみる大和盆地はまるでジオラマの箱庭のようだ。

今日は生駒から平群にかけて黒い雲の柱がおりており、そこに時雨が通り過ぎているのがはっきり見えるのだった。

時雨に遭う

時雨れてはなほ行き難き凡夫かな

あ、やばい。
家を出てしばらくあって振り返ると信貴山の方角が時雨れている。
河原だから雨宿りするところないし、雨はみるみる近づき進退窮まる。
こういうとき山頭火を思う。

時雨が通り過ぎて薄日がさしてきた。

しぐるるに などか浮き寝ぞ 川騒ぐ

おまけ。

さわさわと なびく枯れ葦 時雨過ぐ