坂の多い街

住み登る邸宅多き山朧

生駒山の裾から中腹にかけてかなりの規模で住宅街が広がる。

ケーブルカーが通勤通学の足となっているが、それでも不便ではないのだろうかといつも不思議に思う。
大阪側には奈良側ほど高くまで住んでないようだが、生駒の街につづく近鉄奈良線(帝塚山)学園前駅周辺も坂道の多い街。どれも立派な家が建ち並び、いかにもの高級住宅地である。
大阪あたりに仕事場をもつ人たちの住宅街と思われる。
芦屋なども同様にもとは船場の豪商などが住み始めた高級住宅地で坂もまた多い。
田園調布もまた然り。
所得の高い人はなぜか坂の街に住みたがるものらしい。
拙宅も坂の街だが、ここは平地に土地になくなって止むを得ず山裾を開発してできたもの。同じ坂の街でも生駒には到底かなわない。

雨のあとのせいだろうか、空気が重い。
灯の点りはじめた生駒山住宅地もベールをかけたようにおぼろである。

今日も夏日

羽織るもの腕に抱へる朧かな

暖かくなったとはいえ夜はまだまだ。

帰りの時間を思って羽織るものを一枚多くして出たが、この風もない春の夜は以外にあたたかい。
日中ほてった体の勢いもあって出番はなかった。
当地は今日も夏日。ちょっと体を動かすだけで汗ばんできて、体が暑さに慣れてないせいかすぐに疲れてくる。

本意

町広報戸ごとに配る朧かな
薄雲の行灯めける朧月

今宵の月こそ典型的な春の月だ。

薄絹をまとうような、薄雲の行灯明かりが夜空をひろくおぼろに照らしている。
秋の澄明とも、冬の玲瓏とも全く違う夜空で、それが下界を統べるがごとく頭上に広がっている。
まことに春の月とは、月単独ではもの足りず、水蒸気を帯びた空気、そして薄絹のような雲とあいまって朦朧の世界を生み出すのだ。考えてみると、これはまさしく季題の本意であり、いくら夜空をながめてもこの本意と響き合うような着想が浮かんでこないのは悲しい。

そんなことを考えながら、本年度班長として最後の広報を配って歩くのだった。

赤い灯青い灯

赤灯や澪をゆきかふ船朧

最近は黄砂がよく飛ぶので霞との区別がつかなくなってきた。

今日はいつもより霞の度合いが強く、若草山の赤茶けた姿が辛うじて遠望できる。車のフロントや屋根にはうっすら土埃のようなものが積もっているので、霞ではなく黄砂だと思われる。
霞というのは俳句では春のもので、これがあたりを覆うようだと「朧」というが、最近では黄砂が飛んでいたって朧のように見える。難しく考えないで、雰囲気がもうろうとした感じさえ出ていれば「朧」としても問題はあるまい。
掲句は、横浜湾あたり、黄色い街路灯ににじんだレインボーブリッジの下を今しも大きな外国船がくぐろうとしている光景を想像してみた。