熟すまでの命

けふよりはひとりぼっちよ木守柿

ついこの間まで鈴生りであった木。

それが、すっかり葉を落とすだけでなくひとつを残して実ぐるみの裸となっていた。
ぽつんと残された一つの実は木守柿。来年もまた生るように、ひとつは鳥たちののために残された。
鳥が食べるのは熟してからだから、年が明ける頃にはひよどりたちがやってくるだろう。

恵みに感謝

木守柿つひのひとつになれりけり

渋柿なのかどうか、木いっぱいの柿を生らせたまま放置されているところを多く見る。

いっぽうで、立派に手入れされた柿の木のてっぺんに一個だけ残されているのを見ると、もうこれは木守柿に違いないと思う。
柿の広場となった県立公園の一画では、大きな木がならんでいるが、三本に付き一個の割合でしか残されていなかった。
公園にはいろんな鳥が居てはやばやと失敬したためなのか、それともほとんどが福祉施設などに配給されたのか、真偽はさだかではない。

格好つけてらんない

烏とて命継がねば木守柿

見事な柿花火である。

熟しきった柿に集まるのはたいてい雀とか小鳥、大きくてもせいぜい鵯だが、今日は珍しく貪るように烏が群れている。
考えてみれば雑食性の烏だから、べつに柿の実を食べていても全然不思議ではないのだが、何となく違和感というか、似合わないような感じを受けた。
広い公園を我が物顔に威張ってる烏だって、やはり命を継ぐためには格好つけずに食べられるものなら何でも口にするのだ。

冬支度の鳥たち

木守柿ついばむ鳥の種を問はず

今日も探鳥会の人たちが大勢いる。

墳丘の柿の木

墳丘にぽつんと一本、葉はほとんど落ちているが豆柿のような小さな実をいっぱいつけた柿の木がある。
見ると鵯が数羽来ていて熟れた実をしきりに啄んでいる。すぐにまたどこからか小さい鳥の群れがやってきて、彼らもちゃっちゃっと啄んではすぐに飛び去っていくのが慌ただしい。
これだけ鳥の種類も数も多いようでは、今はいっぱいある実もやがてつぎつぎになくなって、終いには木守柿とは言える状態などないままにただの冬木になってしまいそうだ。