鰯の頭

柊を挿す家の札の篆書かな

戒壇堂近く、旧家とおぼしき家の立派な門に柊が吊られている。

鰯の頭こそ無いが今日はまさしく節分。
表札は真新しく篆書体で書かれているようで、下は「野」と読めたが上の字がどうしても読めない。

大仏殿まで行ったところでタイムアップ。後で聞いたが、二月堂に行けば節分会があったらしい。

後日談)漢和辞典「字源」をアマゾンで購入。旧仮名遣いだけど、よくできてる辞典です。家人の書道用にと買ったものですが、漢和辞典というのはほとんど使ったことがないので(部首索引とか苦手なんです)、辞典は古くてもなんだか新鮮な感じです。
それでも、隷書体はやっぱり読めません。

ひとつの風化

柊を挿したる門の鎖したままひいらぎをさしたるかどのさしたまま

いつ通っても柊をさしたままの家がある。

自宅のある住宅地の縁にそって囲むように旧家があり、その中の立派なお屋敷風の一軒というのが節分になると戸という戸に柊を挿しておられる。翌日以降もその家の前を通るたびいつも決まって門は閉じられているが、柊だけはずっと戸のあいだに挿しこまれたままである。

同じように立派なお屋敷がいくつもあるが、このように柊を挿す風習を守っておられるところは他には見当たらない。歳時記だけに残った行事やしきたりというのは、このようにして風化してゆくのだろう。