毬のもと

揺れもせで雨の重さや栗の花

近畿の梅雨入りも間近のようだ。

今日の昼間はこぬか雨。夕方からは本降り。
そのこぬか雨に打たれて栗の花がしっとりと重たげに垂れ下がっている。
花はまだ完全に開いてないせいか、あの独特な匂いは届いてこない。
あの白く見える雌花はやがて毬になるのだそうだ。種が栗の実ということか。

熊の好きな実

花房の小さきは山の栗にして

栽培用の栗の花はたいそう立派な花房をつけるものだ。

それに対し、山の雑木に混じって咲いている栗の花がずいぶん小ぶりなのには驚いた。
おそらく実だって丹波栗のような立派なものではなくごく可愛いサイズにしか育たないのではないか。
深い山で熊とか猿などが好んで食べるという山栗の仲間なんだろうと思った。

憐憫の目

ほとりせばそのかみの香に栗の花

お恥ずかしい話だが、今日車に乗ろうとして眼鏡がないことに気づいた。

最近は夜に運転するときしか眼鏡を使用しないので、いつもはケースごと車に放り込んである。
それが、午後から花菖蒲を見に行こうとなって、午前中いっぱい文庫本の細かい字を読んでいたせいか、目がしょぼつくので眼鏡ケースを開けてみたら中が空っぽなのだ。
「や!これは」。
最近使ったのは何時かはとっさに思い出せた。
先週土曜日「古代出雲とヤマト王権」展をみに行った「近つ飛鳥博物館」に忘れてきたに違いない。展示ケースのなかの説明文を読むために眼鏡を使ったのは間違いないからだ。で、電話で尋ねてみると落とし物の届け出にはないという。さあ、困ってしまった。
博物館から帰って車を降りるとき、バッグから眼鏡ケースを取り出していつものように車のダッシュボードに置いたのは間違いないから、どう考えても博物館から自宅に帰り着くまでに落としたはずだ。
自分の目で確かめてそれでないなら諦めもつくだろうと、花菖蒲の観賞もそこそこに博物館に行ってみることにした。

雌花の小さな突起はもうすでに固くて痛い。これが毬になるのかな。
雌花の小さな突起はもうすでに固くて痛い。これが毬になるのかな。

写真の栗の花は博物館の前で当日撮ったものだから、まずは撮影場所を探してみるが、ここにはない。
先日館内を巡ったコースに沿って、トイレも含めて探してみたがやっぱりない。

肩を落として帰ろうとしたとき、「そうだ、あの日は梅雨寒の日だからジャケットを羽織っていたはず」「もしかしたら」と、家人に電話したら、果たして、ポケットにあるというではないか。
「何という不覚」「焦って大阪まで行くことはなかった」「何とそそっかしいことよ」。

自分でも馬鹿さ加減にあきれてしまうが、いいように考えれば数日前のことをちゃんと「思い出すことができた」のである。
家人からは憐れみの目を向けられたが、今のところ記憶の方は大丈夫なんだと妙に安心するのであった。

都会に出ること

栗の花遠目に今日の都心かな

突然お声がかかって、久方ぶりの都会・堂島です。

同級生I君、K君の両人に歓迎会を開いてもらいました。
両君ともなんちゃって句会関西支部の同志で、K君の先月の祝勝会を兼ねています。

とりあへず 何はともあれ ビールかな

昨日は海の波でしたが、今日は人の波。
久しぶりの都心はさすがに疲れて、酔いも早いようです。
行きは大きな栗の木の花をしばしみとれながら駅に向かう元気があったのに、帰りはひたすら重い足を引きずるようにして最後の坂道を上るのでした。