末黒野

どこからも焼山見ゆる盆地かな

三年ぶりの本格的な山焼きであったようだ。

盆地を走らせていると。どこからでも黒々とした若草山を見ることができる。
ただ、大阪への出口である大和川に向かってゆるやかな傾斜を描く盆地なので、盆地の西からは大変低い山のように見える。しかし、内奥部へ入るにつれてだんだんと高く大きく見えてくる。
奈良への観光客も徐々に戻りつつあるようだが、次の観光イベントのお水取りは見学者を制限するとともにハイライトとなる行事の日程を非公開としている。
コロナで毎日死者が出ているほどまだまだ油断できない奈良である。

菅原氏の祖

焼山を視野にとらへる通勤路

奈良市内・菅原天満宮に行ってみた。

もちろん梅を期待しての話だが、残念なことに境内の梅という梅はほころび始めたものばかり。盛りにはまだ10日くらい早い模様だ。
この天満宮のある辺りは菅原道真の生誕地ともされ、地名も菅原町である。菅原氏は垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめみこ)葬儀のおり殉死の風習に代わって埴輪を進言したことから土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた野見宿禰の後裔で、奈良時代後期(781年)当地の名「菅原」をもって改姓を願い出て以来である。
この改姓3代目が道真であるということらしい。
野見宿禰はまた、當麻蹴速と戦った角力の祖としても有名である。

奈良市内に向かう途中、末黒の山となった若草山がつねに視界に入ってくるのだった。