菅原氏の祖

焼山を視野にとらへる通勤路

奈良市内・菅原天満宮に行ってみた。

もちろん梅を期待しての話だが、残念なことに境内の梅という梅はほころび始めたものばかり。盛りにはまだ10日くらい早い模様だ。
この天満宮のある辺りは菅原道真の生誕地ともされ、地名も菅原町である。菅原氏は垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめみこ)葬儀のおり殉死の風習に代わって埴輪を進言したことから土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた野見宿禰の後裔で、奈良時代後期(781年)当地の名「菅原」をもって改姓を願い出て以来である。
この改姓3代目が道真であるということらしい。
野見宿禰はまた、當麻蹴速と戦った角力の祖としても有名である。

奈良市内に向かう途中、末黒の山となった若草山がつねに視界に入ってくるのだった。

“菅原氏の祖” への4件の返信

  1. 全国に天満さんと言うのは数えきれないぐらいあるのですね。
    調べてみたら何と我が区内にもあるではないですか。
    やはり菅原公が祭神のようです。

    暮らしの暦もついでに調べてみたら今日は七十二候、第三候で
    「魚上氷」うおこおりをいずるとあり14~18日ごろ。
    丁度今頃をいうのですね。
    この言葉はもう絶対に忘れません。

    1. 藤原一族に肩をならべるほど上り詰めた天才ですから、あやかろうという合格祈願の絵札も半端ではないですよね。
      元祖天満宮と言うには規模が小さくて意外でした。

  2. 背番号24、管家(管公)は奈良出身でしたか。絶頂からの転落、悲劇の主人公。死して怨霊となる。その一が道真でその二が崇徳院でしょうか。

    1. 生誕地はあれこれ候補があるようで確定ではないようですが、菅原家の本家が奈良にあったのは間違いないようです。
      24番は宇多上皇のあの宮滝へ行幸したときの歌だったんですね。宮滝は天武が7人の皇子を集めて団結を誓わせた場所、持統も31回も行幸した宮。地勢的には熊野(南)、伊勢(東)、飛鳥・平城(北)、紀州(西)へつながる交差点。やはり、吉野の桜を見たら次は宮滝へでしょう。
      宮滝は万葉旧跡でも触れました。

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