和の演出

水景の一点景の石蕗の花

庭園の枯れた水景がぽっと灯ったように見える。

石組みだけであたかも水流のように演出した造りのところどころのほとりに石蕗の花が咲いている。
この季節、無味乾燥な石組みの水景に生きているのは石蕗の花だけであるが、この花によって水景にまるで水が流れているかのような演出効果をもたらしているのである。
無機物と有機物が醸し出したいかにも日本的な光景である。

日陰の身分

石蕗鞠と咲いて南の陽の恵み
鞠と咲くひなたの石蕗のあてやかに

石蕗の花にはどうしても日陰のイメージがつきまとう。

事実目にするのはほとんどのケースが、樹木の根占、玄関の下植えなどであるからだ。
たしかに、高さにしてもせいぜいが30センチほどで、花の数もそう多くはないのが普通。
ところがである。日当たりのいい場所に置いた石蕗は、身長が倍ほどにもなり、一本の茎にいっぱいの花をつけるのを見ることができた。
良く育つものには、オオデマリのように花が鞠咲きとなるものがあり、目をみはるものがあった。
考えてみれば、もともと葉の色が鮮明な緑であることに加え、花の黄も原色に近いほど鮮やかなので、日向に似合うのは自然なことであり、石蕗にしてみれば今までの扱いはあまりにも不当だと文句の一つも言いたくなるだろう。

日陰の身分から解放された新しい句も詠まなければと思う。
う〜ん、二句目の下五が浮かばない。これじゃないんだな。
つややか、あでやか、、、、あっけらかん?
探そう、言葉を。

墳丘点景

墳丘の色ただひとつ石蕗の花

石蕗の花は意外に背が高いのだなと思った。

ふだんよく見るのは庭にあるもので石の陰になっていたりすることが多く、株全体を見通すことはあまりないせいか、墳丘の裾に固まって咲いているのを発見したときは新鮮な驚きだった。
どれもしっかりした葉をつけていたが、大きな木の根元にあったせいか半日陰状態のため背伸びでもするように首を長く伸ばしているように見える。

墳丘を覆う芝生はすでに枯れて、色らしい色といえばこの石蕗の花の黄だけだった。

冬の花

石蕗の 小さき鳥居にそんこかな

何を祀ったのであろう、小さな祠とその前に小さな赤い鳥居がある。

ここはある公園の片隅、鳥居の根元には黄色い石蕗の花が咲いていた。
紅葉の盛りであるが、木の上だけでなく寒々とした地面にも存在を主張する植物がいる。