日陰の身分

石蕗鞠と咲いて南の陽の恵み
鞠と咲くひなたの石蕗のあてやかに

石蕗の花にはどうしても日陰のイメージがつきまとう。

事実目にするのはほとんどのケースが、樹木の根占、玄関の下植えなどであるからだ。
たしかに、高さにしてもせいぜいが30センチほどで、花の数もそう多くはないのが普通。
ところがである。日当たりのいい場所に置いた石蕗は、身長が倍ほどにもなり、一本の茎にいっぱいの花をつけるのを見ることができた。
良く育つものには、オオデマリのように花が鞠咲きとなるものがあり、目をみはるものがあった。
考えてみれば、もともと葉の色が鮮明な緑であることに加え、花の黄も原色に近いほど鮮やかなので、日向に似合うのは自然なことであり、石蕗にしてみれば今までの扱いはあまりにも不当だと文句の一つも言いたくなるだろう。

日陰の身分から解放された新しい句も詠まなければと思う。
う〜ん、二句目の下五が浮かばない。これじゃないんだな。
つややか、あでやか、、、、あっけらかん?
探そう、言葉を。

“日陰の身分” への2件の返信

  1. そう、何ででしょう。石蕗は日陰のイメージですよね。昔の坪庭には手水鉢とか石灯籠の際には必ず石蕗でしたからね。時々野生で草むらに生えているの見かけますが生存競争力はあまり強くないんでしょうか。群生してるのは見ませんね。

    1. ご近所と一言さんの境内で目撃したのですが、両方とも素晴らしい群生でした。観賞用に改良された品種だったのかな?

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