オワコン

終戦日新聞とらぬ両隣

終戦記念日。

77年前のあの日。ラヂヲの前に正座して終戦を迎えた。
今はインターネットの時代となり、情報はあらゆる方面から飛び込んでくる。
そのせいか、比較的若い当団地では向こう三軒両隣とも購読紙はない。
そもそもテレビも見ない世代が増えているという。情報はもっぱらネット、娯楽作品ですらネットフリックスなどで好きなときに好きな時間だけ見られるサービスの人気が高い。
それだけマスメディアの影響力がうすれていることになる。社会の木鐸としての時代はもはや過去のものである。
あのNHKですら政府自民党の広報機関となりさがっては、だれがマスコミの言うことなど信じられようか。
真偽と混ぜて情報があふれるなか、良質な情報を選ぶのが個人にゆだねられている時代となったのである。各自の情報力を磨いていくしかない。
それにしても吉本系とコロナ死全国ワーストの知事の露出度が異常に高い関西のテレビはどの局も終わっている。実際のところオワコンである。

墓碑こそ教材

泰国デ戦死と彫られ終戦日
英霊の少年のまま終戦日
墓碑銘は生ける教材終戦日
墓碑銘の一行重き終戦日

墓参してきた。

家人の実家の寺には村の英霊の墓20基あり、同道した子に墓碑を読ませ、戦死した国が広くアジア各国に及んでいたことを教えるいい機会になった。北は「北支」、南は「泰国」とあった。なかには「本州中部方面」とあったが、これは戦病死か。享年19歳から31歳。小さな村から応召し、その多くが若い命を散らせたことになる。家人の父は教職に就いていたことから応召から免れ、かろうじて血を絶やさぬに済んだ。