やっぱり長谷寺

玉のまま錆びて芍薬崩れざる
万緑の見渡すかぎり寺領とや

久しぶりに長谷寺吟行。

牡丹の時期の喧噪からは様変わりの静けさに包まれて、ゆっくり境内を散策することができた。
勿論、「花の御寺」といわれる長谷寺のこと、花の端境期とはいえ句材はいくらでもある。
芍薬も時季外れだが、名残の風情はそれはそれでまた詠み応えがあるというもの。
咲ききって、大きな種を見せるものが多いなか、開くことなく蕾のまま枯れてゆく姿、ある意味、冬薔薇に似通うような趣に心引かれてしばらく佇んでみて得たのが掲句である。

あの大舞台にたって「万緑」に挑戦するのも今日の目標で、いくつか詠んでみたもののひとつが寺領の句。
今日はいくつも詠むことができ、どれを投句するかと悩むほど、贅沢な一日であった。長谷寺、さまさまである。

薬草の精気

芍薬の薬気増しゆく夜雨かな

十分に育った芍薬だ。

剪定して束にすると、めいめいが自分の空間を主張するくらい、葉もしっかりついている。
新聞紙の上に並べても、葉の崩れることなくしっかり場所を確保しようとする。
雨の中切り出してきた芍薬ならなおのこと生気が充満して、その根が漢方に用いられるという強さの一面をのぞかせる。

寒牡丹の寺として知られる当麻の石光寺では、芍薬が咲き始めたという。

初恋

芍薬を抱へ女をのぞかする
芍薬を抱く少女の大人びて
芍薬やポニーテイルのあどけなき

芍薬は大人の女にこそ似合う。

逆に言えば、少女と言えども芍薬を手にした途端大人びて見えることもあって驚くことがある。今まで同級生とばかり思っていた子が、その日をさかいにして眩しげな存在に変わる瞬間なのだ。