平和の祭典に

夕蛙聞いたきかぬの雨二日

菜種梅雨というのだろうか。

コロナに加え二日続きの雨に連休スタートも湿りがち。
大阪では今日44人が亡くなったという。もはや数字には麻痺してしまっているが、さすがに死者44という数字は重い。
災害レベルと言っていい医療崩壊の前には声も出ない。「出るな」「動くな」の対策だけでは今のインドの映像も他所の国のこととは思えなくなる。
よその県から看護師さんを借りているような状態でどこも人材が払底しているなか、今度は平和の祭典のために500人の看護師を寄こせと言う。正気の沙汰ではない。いい加減に目を覚まして欲しい。

冬眠覚め

耕心のこよなく晴れて初蛙

雲ひとつない明るい春の昼、突然蛙を聞いた。

となりの空き地かあるいは我が家の庭か判然とはしないが、いずれにしても冬眠から覚めての第一声ではないだろうか。今年も無事に冬を越したのは何よりで、そのうち蘭の棚で顔合わせすることになるのを楽しみにしている。

居付き

家着きのかはづ飛び出す如雨露かな

いったい何年目なんだろう。

庭の片付けをしていたら、空の鉢からもそもそと小さいものが出てきた。
毎年庭にいる、というか来るというか、雨蛙である。
ときによっては、土色に擬色してみせるが、今日は緑色のほうが強めである。
春になって、あちこち葉っぱが出てきたから、そんな環境に合わせたのだろう。

前にも書いたが、こいつはいきなりの水のお見舞いは苦手のようだ。如雨露の水にあわてて逃げ場所を探そうとする。なるべく迷惑をかけたくないが、植物たちには水が必要だし、なるべくそっと水やりすることになる。

一時は大小各一匹ずついることもあったが、ここ二、三年は一匹しか見ない。
庭が夏仕様に変われば、彼にとっても少しは住みやすくなるかもしれない。
連休の頃までには終わるだろう。

大雨は苦手

おまえさんの寿命如何ほど庭蛙

蛙の寿命はいったい何年くらいなんだろうか。

春先に庭で蛙の声を聞くといつも思うことだ。蛙は冬眠する動物だと聞いているので、春先に庭で鳴いているのは越年したやつのはずだ。
引っ越して以来1匹が去年には2匹になって、庭の鉢などに雨蛙が棲むようになった。如雨露で鉢に水遣りしていると、鉢の中から慌てるように飛び出したりてくるのが可笑しい。やはり、激しい雨は苦手のようで、軽い雨模様の時などはよく鳴いているのだから。

もうすぐ庭に鉢を下ろす時期が来た。また、鉢の中などに潜り込んで時々慌てた滑稽な姿を見せてくれそうだ。