油断

水筒を忘れし鍬に春行けり

雨から一日おいて土にさわった。

作業が遅れ気味で焦りがあったか、天気がよかったのにうっかり水をもっていかなかった。
案の定少し動いただけで喉の渇きを覚える。
もう少し暑い日なら下手すると熱中症になりかねない。
くわばら、くわばら。

季節先行

行春の昼八つしばしウェブの句座

何をやるにも最適の季節。

その昼間のゴールデンタイムの二時間ほどをZOOMの句会で過ごす。
家にいながらにして即座に各地のメンバーが一堂(一画面?)に会せるのは大きな魅力。それぞれが時間を工夫しての参加であるが、用事があったり体調が悪かったりしても個人の意思で参加は強制しないからゆるい句会とも言える。
幹事をしていると会議の管理・進行もあって抜けるわけにはいかないので今のところ皆勤だが、もしかに備えて代行役をお願いすることも頭に置かなければと思いつついまだ実現していない。
次回は五月初旬。すでに頭の中は季節を先回りして夏に切り替わろうとしている。

アンニュイ

レシートに春行くガムを吐きにけり

肌寒い一日。

深夜に間近な雷鳴があり、うつつに聞いてはまた眠りに落ちた。起きてみれば曇り空。
照ったり厚い雲がたちこめたり終日すっきりしない天気で、どうも気が晴れず何もやる気がしない。
所在なくガムを噛んでみたが、手許には適当なものがなくポケットにあったコンビニのレシートに捨てる。なんともアンニュイな晩春の一日ではあった。

いつかリターン

行春の乗らぬバイクを診たりけり

素晴らしいマフラー音。

お向かいさんから大型バイクが引き出されて、今日もエンジンを回しているようだ。
子供さんが小さいうちは乗らないと決めたかのように、ただ調子を見るだけに終始すること月に一二度ほどあろうか。
このように、多くのライダーにとってツーリングというのは子供さんから手が離れるまでは我慢を強いられるのが普通だ。
50才くらいになってから再びハンドルを持つのを「リターンライダー」と呼んで、大型バイクの需要はそこそこあるようだ。

子規の鐘

行春や鐘は正午を告げにけり

西円堂脇の鐘楼
八角形をした西円堂の脇にその鐘楼があった。

西院伽藍の左奥の西円堂は拝観コースから外れていることもあって訪れる人はまばらである。階段を昇った一段高いところにあるので、木の陰から五重塔や金堂を見下ろすことができるし、遙か三山も見渡せる位置にある。
この日は春霞で残念ながら遠くまで見通せなかったが、太子はここから20数キロの道を馬で飛鳥に通われ、通われたみちは「太子道」、あるいは斑鳩と飛鳥小墾田宮(おはりだのみや)が直線的に結ばれていたので、古代道とされる「中ツ道」や「下ツ道」とは斜行する形になる「筋違道」とも呼ばれている。

話を鐘楼に戻すと、この鐘が子規が詠んだあの鐘なんだそうである。西院伽藍の外、鏡池ほとりにあった茶店はもうないがその跡とされる場所に子規自筆の句碑が建っていた。
正岡子規の句碑

ボランティアさんによるガイドが終わったときその鐘が正午を告げた。