黄の蒲団

銀杏散る宗教都市の道また道

天理市に迷い込んだ。

どこを走っても似たような独特の建物がいくつもあって、はてここはどこなのか、いつも異郷に来たような錯覚にとらわれる。
天理市はいうまでもなく天理教本部のある街だが、教団の他、大学校舎、宿坊、どれをとってもみな大きな敷地や建物で一見しただけでは見分けがつかないほどである。このうちのどれかが市役所であろうが一見さんにはまったく区別がつかない。
しかし、石の上神社に行ったときとか何度か通過しているが、まさにこの季節に訪れると奇跡のような景色に酔い痴れてしまうのである。街路樹の多くが銀杏でこれが一斉に紅葉し、散ればまた道路、舗道一面が黄色一色に染まる、まるで黄色の蒲団にくるまれたような暖かささえ感じられるのである。
今日は黄落のピークが過ぎた感があったが、それでも十分に楽しませてくれた。

円錐形を保つ

銀杏散る荒ぶる神の庭にかな
銀杏散り山寺いよよ寂びゆける
黄落のゼブラゾーンの轍かな

初瀬の素戔嗚尊神社の銀杏が遠くからでも見える。

与喜山の麓にある社の境内を埋めるように落ち葉が敷く。
大木であり、かつ大枝を四方に延ばしているので、太い幹を中心に同心円を描くように散るのである。通常、銀杏の大木ともなると途中で折れたりして樹形を保つものは少ないのだが、ここの銀杏は円錐形の姿が見事である。
この銀杏の黄色は長谷寺の舞台からもはっきりとよく見えるので、お詣りした後はどうしても足を向けたくなる。訪れる人もまばらで大銀杏の黄落を独り占めできるのも、またぜいたくなものである。
陰暦10月、神さまが留守とあって、ひとり大銀杏が留守を守っているかのようだ。

デジャブ

黄落の真っ只中の絵描かな
黄落を浴びて写生に耽りたる
銀杏散るままに画帳の余白かな
銀杏散る画帳をのぞき見るごとく

画帳に銀杏が散ってとまった。

画家はそれにも気づかず夢中で筆を走らせている
この景色を前にも見たことがある。
しかも同じ場所。
鷺池のほとり、浮見堂前。
さらに折りよく、黄落の下通りかかった人力車のガイドの声も。
デジャブの世界。

力車停め車夫に聴きゐるひざ毛布

独り占め

散り敷いてなほ隙間なく銀杏散る

「銀杏散る」は「銀杏落葉」の傍題だという。

昨日の「黄落」も同じく傍題のひとつであるが、これは銀杏にかぎらず欅、櫟など黄葉が散ることをいい、ニュアンスがちょっと違うようだ。
人があまり訪れないが、意外に銀杏落葉が見事な場所がある。
例えば、初瀬の素盞雄(すさのお)神社の大銀杏である。全高40メートル、県下最大の銀杏である。境内全体を覆うほど樹形がすそ広がりに大きく、その落葉は境内のほとんどを埋め尽くすばかりである。
人も多くないせいか、誰の足にも汚されない散り落葉がふかふかと、それはみごとなものである。レンズの望遠効果で強調された画像のものとはまったく違う。
この時期、初瀬川を挟んで対岸にある長谷寺からは、見事に黄葉した銀杏が屹然と立っている様子をはっきりと認めることができる。そして階段の最後の一段を登り切れば、そこは誰も居ない境内。その銀杏黄葉、落葉を独り占めする気分は特別である。