くずれる

雲の峰くずれ流れて昼の月

じっと観察することはまずない。

しかし、また顔を上げてみると意外に入道雲はいろいろ姿形そして位置を変えていることにきづく。
今日はその入道雲が流れた跡に上弦の月がこうこうと輝いているのを発見。
どんどん変化してゆく雲に対して月は揺るぎもせず東の空に浮かんでいる。
しばらくしてまた顔を上げると、さっきの入道雲はすっかりくずれて姿を消し、代わって二本の入道雲がもくもくと立ち上がってきた。月はその間にあって、暮れなずもうとする空に存在感を増すように輝いていた。

夏の空

峰雲や棚田に水の入りそめて

水が入って一週間。

菜園のまわりは早くも田植が完了したようだ。
今日植えたばかりと見えて苗があちこち傾いている。隅などにはまだ植える余地があったり、余り苗を隅に植えてあるところもある。仕上げは明日にでもやろうというのか。
盆地は今月下旬ごろになるが、信貴山麓の棚田はそれより二週間ほど早いようである。水は信貴山の水を貯水池にためた自前だからろうか。
まだ澄まぬ水の上には夏の空がひろがり、かなた青垣のやまやまの頭上に入道雲が連なっている。湿度もなく過ごしやすい一日だった。

光シャワー

峰雲を負ひて寡黙の畑仕事

梅雨が明けたような空。

朝方は曇っていたが昼前から強烈な日射しが戻ってきて入道雲が盆地の東に湧き上がった。
Tシャツ一枚では肩、背中がひりつくように熱い。それだけ紫外線が人間の耐えられる限度を越えていると言うことだろう。サングラスをかけていて家の中へ戻っても、しばらくは全体が緑がかったように見える。
眼球の衰え、老化ということもあろうが想像を超えるような紫外線シャワーである。

逃れられない

渋滞を抜ける細道雲の峰

それは見事な入道雲が横並び。

暦の秋とはうらはら。
空も、地上の熱も悲しいほどに真夏である。
その向こうに台風が控えている空とは思えないほど碧い。
予報では15日くらいに10号が上陸するやもと。
このまま西日本に向かえば、8年前の紀伊半島豪雨と同じコースをたどるらしい。
歴史は繰り返すと言うが、自然も同じこと。小さな存在でしかないものはただ従うしかない。

スケール感

峰雲の群像かなた副都心
峰雲の都心に吸はれゆく電車
雲の峰都心は今日も人熱れ
峰雲の頭流れて一ㇳ日果つ

関東平野はいつもどこかに入道雲がわいている。

広い平野だから、どこに湧いても遠くからでも見えるのだが、北から見れば南に、東から見れば西に、西から見れば東に多い。つまり都心の上には毎日のように入道雲がかかるようだ。
入道雲が進むと積乱雲になり、いま問題のゲリラ豪雨をもたらすわけだから、ヒートアイランドの熱が片寄せされる練馬とか川越とか、都心と埼玉の背骨を結ぶ線には頻度が高いのかもしれない。
遠くから見るぶんには入道雲は勇ましくていいが、その直下となると頭上に入道雲がかかっているなんて想像もできないし、それよりも雷さまがゴロゴロ鳴っているかもしれない。
山に囲まれている奈良盆地は見通しが限られることもあって、スケールにおいて劣るものがあり、やはり入道雲は広い大地にこそ似合うような気がする。関東平野の入道雲が懐かしい。

小坊主

ふくれっ面すぐに崩れし雲の峰

二階の書斎に上がったら、吉野の上に積乱雲が立ち上っている。

時期的には梅雨明けも間近だが、台風の影響もあってかなかなか明けそうにはない。
今日は予報を裏切って久しぶりの梅雨の晴れ間となり、気温も急上昇。家の中にいても30度超、湿度75%とあっては老骨がついてゆけない。
積乱雲だって本格的な夏の準備が整っていないのか、大きく高くはなれないで、餅が焼けてきてふっくら膨らんできたような可愛い姿だ。同じ入道雲でも小坊主であるようだ。しばらく眺めていると、まもなくその膨らみは相好を崩すかのようにしぼんでしまって、崩れた雲はどんどん西の方へ流れてゆく。

三つの大型台風の行方が気になる。梅雨明けは台風が去ったあとだろうか。それとも、その間にまた台風が生まれて雨に悩まされるのだろうか。

雲の煙突

大峯を睥睨するかに雲の峰

2階の書斎からは正面に吉野の山々がよく見える。

ただ山容が遠目にもくっきりと見える日は少ないのであるが、それはそれでその果ての大台、熊野灘まで連なるイメージを浮かべながらいっときを過ごすことができるという実に贅沢な時間を味わえる。
この日は、吉野上空に信仰の山、大峯をはるかに見下ろす高い入道雲がまるで煙突のように一本立ち上がっていた。