曇のように

宵越しの霾つれなくも朝の窓

「ばい」。

黄砂である。
近くをながめても際だって黄砂は分からないが、ちょっと目を遠くに転じると靄がかかったように視程が短い。
三山はもちろんいつも仰ぐ葛城山や二上山がまったく望めない。
天気がいいはずなのに曇のような日差し。
明日もいい天気だというが朝からこんな風だと気が重くなる。

地元代表して

耳成のつねよりまろし霾曇

風が強いせいか、黄砂の降り積もりは見られない。

盆地は言ってみれば大きな窪みだから、黄砂も集まりやすいはずだが、ヘルメットのフェイスが叩かれるというほどでもなかった。畝傍も、耳成もすそは靄がかかっているようだが、頭の部分は目視できるレベルで、幾分稜線がいつもよりまろやかである。

花粉症が幾分治まったかなと外出してみたたが、今日は黄砂を含む風のなかに身を置いたためか、泪がやたら止まらなかった。
明日は、結社の吟行を法隆寺でやるというので、地元代表としてがんばってみます。
そう言えば、あすは花祭りに当たる。今まで、花御堂、灌仏にはまったく縁がなかったので、法隆寺仏生会には真っ先に駆けつけようと思う。

二上が朧に

霾れり大気揺るがぬ日並みにて

昨日から黄砂が降っているようだ。

車のボンネット、ルーフなどに実に細かい粒が乗っている。とくに今日は全くの無風だから飛んで来るという感覚は全くなく、ただ天から静かに降ってくるだけである。
「霾」と書いて「つちふる」と読ませる。雨に獣でなんで黄砂かと思うのだが、そういう決まりだから仕方がない。

今日などはまさに春の陽気のあったかい日で、辛うじて二上の姿がおぼろに見えて霞かとも見えるのだが、黄砂だと聞くとPMなにがしの不浄にまみれているようでもあり、ようやくの春の気分も萎えてしまう。