2020年の句(後半)

10句のうち、実景に着想を得たのは冒頭の句だけ。
それだけ、外に出てないという年でした。殘りは過去の記憶やテレビなどの映像、そしてそこからの連想などで生み出したものばかりですが、それなりにまとめることができたのは幸いでした。
結社では新年から句会再開となりますが、個人的には当分自粛しておこうと考えています。

豊年蝦田水に透ける半夏生
一片のぜいご舌刺す背越鯵
腰の立つものはこぞりて祈雨踊*
腰越の沖浪強し虎ヶ雨
南高梅笊にひろげる朝曇
舫ひ解く不漁覚悟の秋刀魚船
秋刀魚焼くあの戸この戸の青けむり
棕櫚を剥ぐ村の最後の一人かな
三輪山に尻を向けては麦を蒔く
タクシーの上席占むる熊手かな

*印は結社誌「雑詠鑑賞」の採用句。

“2020年の句(後半)” への5件の返信

  1. 吟行には行けなくても想像力豊かに思いを馳せて詠む。
    それも大事なことかもしれませんね。
    プレバトでよく発想を飛ばすなんて言いますが思いもよらない句に驚いたり感心したりです。
    来年はどんな句に出会えるかそれも楽しみです。

    1. 伝統的俳句にしたがっておりますので、季題の本意を重んじた写生が基本です。ですから、この目で見たもの、耳で聞いたもの、五感で感じたものを詠むわけです。季語を後からくっつけるような詠み方では、いわゆる「季」が動く、他の季語でも通じてしまってはまずい。
      その辺が一番難しいところで、うまく季題に寄り添う句が理想形。揚げた句はどれも季は動かないと思いますがいかがでしょうか。

  2. 実際に経験したこと、目の前の実感を詠むことほど強いものはないと思います。
    私などはたまにしか詠まないので発想に乏しくやはり基本に忠実であることを理想としたいです。
    逆に実際に見たこと、感じたこと、経験したことしか詠めない気がします。

  3. 三輪山に尻を向けては麦を蒔く

    今年後半の10句で、一番好い、じゃなかった、好きなのは「三輪山に尻を向けては麦を蒔く」です。”外に出てないという年でした”との事ですが、信じられないぐらい季節感と飛躍感がいっぱいで、楽しく、俳句での旅をさせて貰い、遠出が激減したこともあって、感謝・感謝です。
    来年も楽しませてください。

    1. これ不敬ではないかとお叱りを受けそうですが、それがいいのだと思います。ふだんの生活のなかに三輪山の神がいらっしゃる、守られているという平穏。
      富士の裾野に住んで朝な夕なに見守ってもらってるという贅沢にも通じているのではないかと。
      我が家は大峯の山々が遠望できる朝のひととき。ありがたい景色です。
      来年もまたご感想をお寄せください。よいお年を。

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