波頭波間漂ひ磯千鳥
波しぶき届かぬ溜り磯千鳥
キヨノリ君のブログ「百人一首 談話室」が再開されて、ブランクもものかは、すこぶる快調である。
毎週一首をとりあげて、その作者や詠まれた時代背景、源氏物語との縁を織りなす物語は読むだけでも十分楽しい。
今日は、今週の78番歌「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」(源兼昌)に触発されて、「千鳥」に挑戦してみた。
ところで、「千鳥」というのは知っているようで実はよく知らない。
厳密に捉えると、渡りをする小さな水鳥で、後脚が発達しているので浜や潟などを素早く走るのが特徴をもつものを言うらしい。一方で広く捉えると、シギやケリなど蹼を持たない水鳥を言うようでもあるし、さらには文字通り「千」が示すようにいろんな鳥という意味もあるようである。
78番歌は、淡路、明石海峡を行き来する鳥の声と言うのだからその種類を限定して姿を見せる必要はなく、いろんな水鳥たちという意味に解釈したほうが理屈臭さが抜けていいと思われる。
春には「百千鳥」と言って、いろいろ囀りをみせる鳥たちを美称する季語もある。他にも歳時記には四季それぞれの鳥が取り上げられているので、積極的に詠むようにしたいものだ。
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古 思ほゆ
なぜか千鳥にはもの悲しい思いが募ります。
昔、好きだった歌謡曲も誠にせつない・・・
逢うが別れの初めとは
知らぬ私じゃないけれど
せつなくく残るこの想い
知っているのは磯千鳥
やはり千鳥は山ではなく浜辺にふさわしい鳥のように思う。
芭蕉は名古屋・鳴海で、
の挨拶句(土地誉め)を詠んでます。
千鳥の歌は人麻呂ですから、直感的に近江朝の昔をしのんでいることが分かりますね。これも、ある意味で挨拶歌でしょう。口調がよくて、いかにも万葉調。知らず知らずに覚えてしまいますね。百人一首はちっとも覚えられません(だは〜)。
「土地褒め」と言う言葉を初めて知りました。
土地褒めの儀礼歌は確かに現地の人は悪い気がしません。
現に星崎を車で通過すると必ず芭蕉を思い出します。
平忠盛(清盛の父)の土地褒めの歌
虫明け瀬戸のあけぼの見るをりぞ都の事も忘られにけり
(玉葉集)
有明の月も明石の浦風に波ばかりこそよるとみえしか
(金葉集)
忠盛って武勇の人かと思いきや清盛と違い、意外と風雅の人ですね。
星崎の句は、鳴海の座の発句で詠まれたものだそうです。生憎の雨で、星の名所にかけて詠んだとか。典型的な挨拶句ですね。訪問先では挨拶句が土地誉めになるのは自然のなりゆきなんでしょう。
大河での忠盛は大人の人物として描かれていましたね。武士として初めて昇殿が許された人として、風雅の道にも励んだのかもしれません。
いつも「談話室」を応援していただきありがとうございます。
百人一首に鳥は意外と少ない。鶯も入っていません。
(3山鳥、6かささぎ、62にわとり、78千鳥、81ほととぎす)のみ。
千鳥は夏のほととぎすの対比として冬の象徴。身が縮こまる寒々しさの中に千鳥の哀切な声。でもちょこちょこ走り回る姿を見ると何となくホッとする。そんな感じでしょうかね。
「雪月花」、「空・雲」「風」「水」、「海・川」など自然がふんだんに詠まれていても、「花鳥風月」の「鳥」のプライオリティは低いわけですね。「みやこどり」などはたいしたスターだと思うんですが。ちなみに、万葉集では600ちょいとが詠まれています。4,500分の600ですからレスペクトぶりがしれますね。
きっての快速ランナーに「千鳥足」だなんて一体誰が名づけたんでしょう。