煤掃やかくも埃のなかに棲み
煤掃やかくも芥に身を埋み
年末だからと言うわけではないが、たまに気が向いたりして念入りに部屋をあらためる。
出るわ、出るわ、この埃。
ふだん気にも留めずにいるが、こんな埃っぽいところにいたんだと思うと慄然とする。
最初は軽く始めたつもりの片付けが、結局はえらい大事の大掃除となる。
今日は台所の換気扇が高いところにあって大変だというので駆り出された。
これもファンなど洗い始めると、なかなか油汚れがとれなくて、そのうち手袋をするわ、湯を出すわ。洗剤の湯でもなかなか取れないとなると束子を出せだの、細かいところは歯ブラシだとか注文が多くなる。
結局台所全体を汚しまくったあげく、掃除するのはファンだけでは済まなくなった。文字通り台所の大掃除である。
ところで、「大掃除」は春の季語。どうやらお役所の期末恒例行事の名残らしい。今は大掃除と言えば年末が相場で、どこの家も大なり小なり一年の汚れ落としを行う。その年末には「煤払」「煤掃」という季語があり、寺のお堂や仏様などの煤払いのニュアンスがあるが、各家庭で行う大掃除も「煤払」として詠んでも問題はない。
ちなみに、東大寺の大仏さまのお身拭いは夏であるが、薬師寺、唐招提寺はじめ多くの寺では年末に行われる。
一般にこのような年迎えの準備を始めるのを「事始め」と言って、12月13日とされる。大神神社が大門松を立てたり、京都祇園で芸舞妓が京舞の師匠に挨拶に行くのもこの日である。
大掃除に奮闘お疲れさまでした。
この所、連れ合いの体調がすぐれず動いてくれません。
好きな庭仕事にも精が出ません。
従ってこの年末は何もかも見送りと言う事になりそうです。
そうと決めてしまえば年末は何と暇なことでしょう。
来客があるわけでもなく近くに住む家族が夕食に来るぐらいで内々のこと少々?の散らかりようは目をつむる事に・・・
ところで昨日、仏壇の電動扉が開かなくなり照明も点かなく修理に来てもらった。
きれいに使って見えますが仏具を磨いて下さいと言われた。
真鍮の仏具を紙やすりで磨いてピカピカにしてくれた。
照明具や彫刻もきれいに掃除してくれ仏間だけは気持ちよくもういつ新年を迎えてもOKです。
いつもお元気な人が精彩を欠かれるのは心配ですね。お大事に。二人きりともなると、必ずしも毎日掃除や選択する必要はないし、適当にやるのがいいのでしょう。
お仏壇がきれいになるだけでも心あらたまるものです。それにしても、電動式扉とは恐れ入りました。埃が入らなくていいかもですね。
電動式扉の仏壇があるとは初めて知りました。そういう時代なんですね。
昔、小さい頃、祖母と一緒に仏具を磨いたことをskyblueさんのコメントで思い出しました。敷物の上に古新聞を広げて仏壇からいろいろの仏具を取り出し、磨き粉をつけて丁寧に磨きました。光を取り戻すと嬉しかったものです。私を大事にしてくれた祖母でした。
懐かしい思い出です。
私も子どもの頃を思い出しそう言えばすべての仏具を取り出し磨き砂をつけて磨くのが年中行事の一つでした。
電動扉と言うのは御厨子が掛けてある内側の小さな扉だけでそれと同時に灯りも自動的に点ります。
外側の大きな扉はもちろん手動です。
優しい、温もりのある思い出があるのは何より。それが、肉親とあればなお結構なことです。
私は祖母や祖父との縁が薄かったので、より強く感じます。