近火とてバケツ手にしてみたものの
大火があった。
悪条件が重なってこのような火事は20年ぶりだという。
百軒以上が全焼となって、類焼となった被災者は年末を控えてまことにお気の毒というほかない。
今回は風下となった海がもっと遠ければ、被害はもっと広範囲に広がっていたに違いないと思うとぞっとしてくる。
熊本の地震といい、このような大火といい、終わってみれば今年は災害の年として記憶に残ることは間違いない。
今年の漢字が、過去何回か採用された「金」だとは、どう考えても感覚的に受け付けなかったが、この大火によってますますその坊主のノー天気ぶりが嗤われることになろう。
金なんてとんでもない!!
一部のメダリストと特権階級だけのもの。
むしろ鴨長明の「方丈記」五大災厄を思い出しました。
私自身の一年を漢字にすると楽(がく)です。
まずまず健康で好きなことを大いに楽しみました。
外人観光客でうるおう京都からみれば結構なことでしょうが、格差、貧困から目をそむけるような宗教では救いがありません。
私は「常」をあげましょう。平常、通常。与えもできないが求めもしない。静かな年をおくることができました。
糸魚川の大火事、すごかったですね。木造密集地帯にああいう気象条件だとなす術がありませんね。そうだ、今月のお題は火事でしたね。そろそろ考えなくっちゃ。
火元にならないよう注意しなきゃね。
「火事」を詠むのは意外に難しいです。「燃える」、「焼ける」とか「火災」とかは季語でないので「災害」と言う側面ではなく、「火事」そのものに向かい合わねばならず悩んでいます。
今月のお題「火事」は本当に悩みました。
私は本来、句をつくりっぱなしで、あまり変えないのですが、「火事」は3回も変えました。推敲ではなくて、発想そのものをすっぱりと何回も変えたのです。それでもすっきりしません。本当に難しいお題ですよ、魚水宗匠!
おや、まあ。「行き詰まったときは発想を飛ばすこと」。頭で理解していても、気に入ったフレーズに囚われたりすると逃れられなくなりますね。私も、何十偏も推敲しておりますが、いまだに答を得てません。
「小火」は季語ですが、「大火」はそうでもないようで、傍題も意外に少ないです。
深刻な題ですから、掲句のように詠んで叱られそうです。