さきがけの臘梅の香に引き寄さる
冷たい風の中につんと刺激する香り。
臘梅が咲き始めたようだ。
ほとんどの芽はまんまるのままだが、一本の木に2、3粒程度開いている。
久しぶりに馬見丘陵を広く歩いたが、おかげでいろいろな句材があって詠みごたえある一日。
いろんな水鳥もいたうえ、斑鳩町のシンボルであるイカル君たちの群れにも遭遇したし、久しぶりにカワセミも見つけて寒い池も苦にならない。
目を上空に転じると猛禽、たぶんチョウゲンボウがかすめ飛んだり、高い木の天辺から風に散らされた木の葉が吹雪のように遠くに流れていったり、足下から身の回りすべてに材料が転がっている。
これらの感触を時間をかけて醸成すれば何とか句にはなりそうである。
昨日は比較的風も穏やかで暖かめだったようで良い吟行ができましたね。
花に鳥や木々、まさに花鳥風月を詠む句材がいっぱい。
秀句を期待しています。
先月蝋梅の実を見つけて種を取り庭に埋めました。
さて来春、芽を出すかどうか楽しみである。
昨日は無名抄(長明)の今年最後の授業でした。
百人一首談話室の俊成(83)と俊恵(85)で話題になった俊成自讃歌事を学びました。
無名抄が始まって丁度一年になりますが何しろ影印本なので遅々として進みません。
長明は方丈記が一番有名ですが私はこの無名抄が面白くてたまりません。
歌論書なのですが手っ取り早く言えば歌人仲間の和歌の評価批判噂話が中心です。
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(俊成)
俊恵が俊成の秀歌を難じた「身にしみて」を自分ならどう詠むかが宿題です。
恐れ多くも俊成の和歌を直すなんて!!とても私にはと思いますがこれは余興として面白い、皆どんな知恵を出してくるかが楽しみである。
ちなみに談話室の箇所を開いてみたら百々爺さんは「そよとして」はどうだろうかとの事でした。
さてどうしたものかと・・・
俳句をやる者からすれば、たしかに「身にしみて」は言っちゃお終いよ、の部類ですね。全体の意味からしてもたいした機能はしておらず、付け足し感は否めないので、このような「言い換え」論議が可能になるのでしょう。