ボヘミアン・ラプソディ

煤逃と無縁で生きてシネマ混む

「煤逃」という言葉を知ってる人はどれだけいるだろう。

俳句をやるひとくらいに限られるのではないだろうか。
評判の映画にわんさと押しかけるひとたちにとっては、煤逃のために來ている訳でもなかろうし。

“ボヘミアン・ラプソディ” への2件の返信

  1. 煤払も煤籠も煤逃も映画も関係なくひたすら年賀状作成の一日。
    年に一度しか開くことなのない筆ぐるめは何度やってもスムースにいかない。
    おまけに旧PSでないとやり方がわからず入れ替えるので余計手間暇かかりストレスの一日となった。
    ついでに溜まっていた写真も印刷しようとしたがプリンターがうまく作動せず結局一歩も家から出ることなく何とか不出来ながらも年賀状だけは印刷できたが疲れだけが残った。

    ボチボチ年賀状自体を見直す時期にきているようだが決断が難しい。

    1. 年齢などきっかけにどうぞ。私など、古稀に乗じて三分の一くらいに減らしました。もう一段踏み込んで減らそうと思いますが、基準は今後会う可能性があるかどうか。なさそうなら失礼してももういいいかと。

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