久闊を叙する

特産の歳暮に寄するかの地かな

友人や知人からとどくお歳暮には土地の名産が多い。

H君からは長いも、N君からは辛子明太子、Sさんからは林檎(今年は遅れているという)などなど。
それらにはおのずと土地柄があらわれていて、いただくたびに彼の地をしのぶよすがとなる。
さらにまたそれらを生み出す山河の姿も浮かんでくるのである。
コロナ禍で会うこともかなわないが、御礼の電話で久闊を叙するのもまたよきかなである。

“久闊を叙する” への4件の返信

  1. お中元、お歳暮を略するようになってから久しい。
    昔は結構な数のお付き合いをしていたが今では嘘のようだ。
    なるほどそういった効用は確かにありますね。
    彼の地をしのび旧交を温める。

    いつの間にやら新しい年を迎えるに一か月を切ってしまった。
    朝夕仏壇に向かい気がかりがあった。仏具の汚れである。
    子どもの頃年末には仏具を磨き砂で磨いた記憶があるが今のは真鍮か錫かよく判らないが年々光沢がなくなっている。
    仏壇屋さんに寄ればペーパーサウンドで磨いてくださいとの事。
    面倒なことが嫌いな私は手っ取り早くすべての仏具を新品に交換した。
    少しだけ気持ちを新たにすることができた。

    1. あらあらずいぶん思い切ったことをされましたね。
      魂抜きとかいろいろ大変だったでしょうに。
      位牌だけ置くところがあればいいと考える私には、母から継いだ仏壇をよう始末できません。

  2. 特産の歳暮に寄するかの地かな

    勤務していたS商事は、社員間や取引先間での、歳暮・中元・年賀状など”虚礼”は極力避けるよう教育されたおかげで、お歳暮・中元のたぐいは、子供たちが結婚し、子供や親御さんらから届くようになって、初めて、結構貰うの楽しいなぁと目覚めた(?)ほどで、この年になると、各地の名産品がたくさん届くほだかさんが羨ましく思います。! 
    年賀状も、「今年で最後にさせて貰います」なんて言葉が添えられていたり・・・・。暇なんだからこの程度の”虚礼”は何ともないんですが・・・。

    1. そうですね。90年代以降は虚礼として取引先などとのやりとりは控えるようにとありましたが、友人・親戚間では当たり前でした。
      中元、歳暮と特産も季節によって変化したり、いろいろ巡らす感慨もあるものです。
      全国からの特産がもっと多く届く職業は医学部教授。各地の教え子からそりゃあ想像できないほど贈られます(笑)

      コメントいただきながら気づかずにいて申し訳ありませんでした。

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