地震一報伝へるラジオ寒い朝
今日は神戸震災から27年目。
5000人以上もの貴重な命が奪われた。あの日は車通勤していてラジオから何か大変なことが関西で起きたらしいことを知ったが、詳細はなお数時間も伝わらなかった。だんだんと情報が入ってくるうち、これは容易ならざる事態だと知ったのだが、とりわけ地震後の火事の映像には声もなかった。
阪神淡路大震災といい東日本大震災といい、ふたつとも冬に起きた。電気も水道もガスもなく、トイレも無論風呂もない日が何日と続く日々の不安は恐怖に近いものがあろう。
昨日は夜中にスマホが災害警報何度も鳴ってはその都度起こされた。トンガ近海の噴火がよもやの津波となって日本にも届いたのだが、地球は生きている、昨日と同じ保証はどこにもないことをあらためて感じるのである。
大災害が起きる度に「明日は我が身」ということを思い知らされる。
一生のうちにそういう目に合わずに逝きたいものである。
震災一年後にまた神戸東公園には一度行ったことがあるが当事者だけでなく忘れてはならない記憶として心に留めたい。
隕石で地球が破滅する危機より巨大噴火、それによる溶岩流、火山灰、地球冷却のほうがリアルに怖いですね。喜界カルデラ、紀伊半島カルデラの話など聞くにつれ、トンガと同じ火山列島のさだめを思わざるを得ません。