ウクライナ嫁に聖樹の灯るなし
かつてイルミネーション賑やかだったお宅がこのごろ灯さなくなったところがある。
駅からのぼってきて真正面に見える家には庭から屋根までかかるクリスマスイルミネーションがあって、下からのぼってくる人間にとってはいやでも目に入る立派なものであったが、いまは雨戸をおろすと何の変哲もない家となっている。
東京にはウクライナ出身の女性を妻とするご子息がいて、日頃から孫が可愛くてならないという御仁が住まわれている。受難のご親戚をおもんぱかってのことかどうか分からぬが、そう言えばここ何年灯ったのを見ていないような気がする。省エネが言われるご時世への姿勢かもしれぬが、勇ましい話をただたれ流すマスコミの無気力にそこはかとなく不安を感じ始めた市民がいることは間違いない。
通っているジムにかつてウクライナの美しい女性がいた。
日本人男性と結婚して日本語も堪能で今はジムが入っているスーパーで働いている。
前は気軽に声をかけていたが今は簡単には話せない。
どう声をかければいいのかわからなくて躊躇してしまう自分がいる。
故国の肉親を思わぬひとなど誰ひとりとしていないのを分かっていても、想像もつかない心のうちにかける言葉の見つからないことはよくあることです。
私も御仁にはあれこれと尋ねることなどできません。