屈託ない

鍵つ児はかぎつこどうし日脚伸ぶ

このあたりの下校時間は4時半らしい。

ついこの前まではもうたっぷり暮れてしまう時間帯だから鍵っ子同士遊ぶこともなかったが、今では五時を過ぎても十分に明るく子供たちの元気な声が聞こえてきたりする。
春分も過ぎて四月ともなれば、下校後親のいない子同士近くの公園で親が帰ってくるまで遊ぶことも多い。
その時間帯は外へ出たときなどそれとなく注意しているのだが、いまのところ何のトラブルもなく屈託ない顔で挨拶してくれるのが嬉しい。

“屈託ない” への2件の返信

  1. 鍵っ子と言う名前がある前から親は田畑に出て留守がちだった。
    大体田舎の家で鍵をかけている家はなかったように思う。
    我が家でも家に鍵などなかった。
    物心ついたころはおじいさんと遊んでいた記憶がある。
    時代と場所が違うと言えばそれまでだが近所は知り合いばかり、道路は定期バスぐらいで危険が少なかったし子どもの遊び場は道路上でもあった。

    1. 子供はコミュニティの一員だから、悪戯すると他人のおじさんや小母さんからもよく叱られた。
      そんなところから社会性を学んでいくのだが、今じゃ回転寿司の悪ふざけから垣間見えるのは、自分の行動に責任取れない人が増えたということ。子供だけじゃないけど。

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