春隣

満タンの給油ホースに日脚伸ぶ

毎日のように真っ白な朝。

盆地の底冷えがつづく。
しかし日が昇るとともに、穏やかな空気に一変する。高気圧が真上にある証拠である。
風もなく気温以上に暖かい日となった。
そんな天気に誘われて午後はガソリン給油に向かった。
これよりは三寒四温がつづくのだろうか。
日はまだ高く、暮れるには十分な時間がある。あと20日もすれば春が来る。

屈託ない

鍵つ児はかぎつこどうし日脚伸ぶ

このあたりの下校時間は4時半らしい。

ついこの前まではもうたっぷり暮れてしまう時間帯だから鍵っ子同士遊ぶこともなかったが、今では五時を過ぎても十分に明るく子供たちの元気な声が聞こえてきたりする。
春分も過ぎて四月ともなれば、下校後親のいない子同士近くの公園で親が帰ってくるまで遊ぶことも多い。
その時間帯は外へ出たときなどそれとなく注意しているのだが、いまのところ何のトラブルもなく屈託ない顔で挨拶してくれるのが嬉しい。

早飯

日脚伸ぶ影は隣のものとなり

午後五時の空の色がだんだん濃くなってきた。

心なしか日差しにも強さが戻りつつあるように感じる。
とくに今日は暖かくなったせいもあって陽だまりが心地いい。
そんなことから畑仲間といつになく長話となって気がついたら無線放送の「きらきら星」が鳴った。いわゆる子供向けの「帰れコール」である。秋から冬の期間は午後五時に鳴ることになっている。
庭にいるみぃーちゃんはこれが鳴ると夕ご飯の時間だと思ってて、定刻よりも一時間も早く夕飯をねだる。風も冷たくて本当に寒いときは待たせるのも可哀想なので早めにはやることにしているが、今日などは急いでやることはない。それでも30分以上の早飯であるが。

景広く

二上山に開く病棟日脚伸ぶ

病棟に動けないでいるとよけい感じるらしい。

今日はまだベッドから起き上がる許可がおりないで、仰臥したままくくりつけのような状態の家人からLINEが来た。何もすることがなくただベッドに寝たまま時をすごすしかない身には、曇りがちでもそのように感じるのは自然なことだろう。
病棟から遠く南西に二上山があり、南面する窓からはなんの障害もなく夕日が二上山のあたりに沈むのをじっくり眺めることができる、なかなか景の広い眺めである。
むろん家人にはそんな感傷的な気分には到底なれないだろうが。

反転

日脚伸ぶ雨後の夕の空青く

朝からずっと冷たい雨。

午後も暮れる頃にようやく止んだがどこか明るい。陰の極みから反転して日はたしかに伸びているようだ。
暗い一日だったがすでに気持ちは春に向かっている。

運がよかっただけ

疫病禍生きて一年日脚伸ぶ

去年の今頃から何となくざわめき始めて一年。

ひたすら人とも会わず家に籠もる、言ってみればすこぶる贅沢な身分であったが、おかげでさまで今のところいのちをつないでいる。
BS1やNHKスペシャルなどで、コロナ対策の医療現場の現状をみるにつけ、今重篤な病にかかったらそれはすぐに死につながりかねず、年齢を考えると今まで無事でこられたのは単に運がよかったと言っていい。
さらに一年くらい、無理しないで健康をたもち人に迷惑かけないようにしなければ。

旅愁

新特急デビューは近し日脚伸ぶ
特急の通過待つ駅日脚伸ぶ

句座を終えてホームに待っていたら、クリームイェローの特急が滑り込んできた。

近鉄はこのごろ新車両の導入が目まぐるしく、この春はまた名古屋線に新しい車両がデビューするらしい。
近鉄特急といえばなんといっても賢島行きが行楽列車として人気で、近鉄駅などの観光ポスターを見るたびに旅愁を誘われる。
もう何十年も利用してないので昔のたばこ臭い近鉄特急のイメージばかりが残っているので、新しい車両には一度は乗ってみたい誘惑にかられる。