信貴山詣での木橋

水仙と道中安全地蔵尊

大和川の水仙

かつてこのあたりに木橋がかかっていて、信貴山詣での善男善女たちが利用していた。

今は「多聞橋」と呼ばれる鉄橋に変わっているが、橋のたもとには昔から旅人の通行安全を見届けた「多聞地蔵尊」が立ち、今も地元の人々に大切にされている。この多聞橋はちょうど近鉄生駒線とJR大和路線の鉄橋の中間点に位置しており、車は通れないが地元の人たちが王寺駅との行き来に利用している。マイ散歩コースでもある。

“信貴山詣での木橋” への6件の返信

  1. いい散歩コースですね。写真でイメージがよくつかめます。コンクリートで固めた堤防でなく昔ながらの自然の土手。今は水仙、その内につくしが顔を出すのでしょうね。野鳥もいっぱいいそうだし素晴らしい!

    1. 対岸が河川敷になっていて寒風をついてウォーキングする人が結構います。私もその一人ですがね。そうですね、ツクシはよく探さないとなかなか見つけられませんが、有るところには有ります。

  2. 信貴山や多門橋、多門地蔵尊など、松永久秀にゆかりの地名や名前が多く残っている土地柄ですね。
    歴史小説の好きな小生にとっては、なつかしい感じがしますね。
    かつて久秀が織田信長に敗れ、多門城を明け渡し、信貴山城に移ったと歴史小説等にでてきますが、現在多門城の跡は若草中学になっているそうですが、多門橋から近いのですかね。
    奈良は京都とともに日本の文化の中心であるとともに、政争の場所でもあったため、南北朝時代や戦国時代などには焼失したり、波乱に富んだ歴史を刻んできた土地柄ですからね。
    それにしても身近に歴史を感じさせる史跡や地名等があるというのは羨ましいですね。

    1. 多聞城というのは東大寺の北の方にあったそうです。ご指摘の若草中学がその跡地だということです。当町は信貴山城の裾にありますので、同じ「多聞」でもその関係はよく分かりません。
      信貴山の多聞天さんに関係してるのかもしれません。
      松永弾正というのは、信長に攻められて有名な茶釜を差し出せば助命するというのをよしとせず、釜とともに爆死したというエピソードが残っている波瀾万丈に富んだ生涯を送った戦国武将ですよね。龍田大社の近くに弾正の供養塔があります。散歩の途中で目の前に急に現れたのに驚いたことがあります。

  3. 春めいてきたころ、こんな散歩コースを毎日歩けたらいいでしょうね。私の散歩とは雲泥の差があります。 これからの季節いろんな植物の芽吹きが見られるでしょうね。
     住む場所の違いは仕方ないですが・・・

    1. このコースは信貴山おろしがきついです(笑)それに芽吹きも遅いですし。寒さはこれから暫く、いよいよ胸突き八丁にさしかかります。

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