水仙の門におりたつ車椅子
水仙のさなぎのごときヴェールかな

近所のデイサービスホームのアプローチの水仙がふくらみ始めた。

いまは蕾がうすい膜のようなもの包まれて、まるで羽化する前の蛹のようである。
送迎車から降りるたび、乗るたびに来訪者の目に止まって楽しませてくれるといいが。そんなことをふと考えながらホームを過ぎてゆく。
数日前、NHKスペシャルで脳科学者の娘と認知症の母親との日々を追ったドキュメンタリーを見た。アルツハイマー型認知症で脳の萎縮が進んでいるが、脳のすべてが侵されるわけではなく、人によっては高度で複雑な感情を司る部分が正常であることもある。言葉に発することは出来なくてもだ。
そのサインを細かく観察しながら冷静に寄り添えることによって交情が十分にはかれることも知った。もし自分が発症したとして路傍の花に気を止められるかどうか。身ほとりのちょっとしたことに目がいき、いくらかのプラスの感情をもたらしてくれるかどうかは、健康でいるうちの感受性をいかに養うかであると思うのだが。

遅ればせながら

水仙の遅参の花の申しわけ

気温が上がっていっぺんに忙しくなった。

本来寒の内にやっておかなければならなかったことをさぼっていたので、作業がとても一日では終わらなかった。それに、一日中とりかかる体力もなくて休み休みやるしかないためでもある。
とは言え、およそ予定の半分ほどを片付けられたのであと一日かければ何とか春の準備が整いそうである。
ひと休みの足もとにはそれまで気づかなかった水仙が芽を出してきていた。あやうく踏みそうになったが、これは昨年球根から育てて二年目のものである。季節的にはちょっと遅い気もするが、この冬が想像以上に寒い日が連続したことが影響しているにちがいない。

探鳥かねた散歩

水仙のかしら中して日の溜まり

水仙は太陽の方へ向いて咲くのではないだろうか。

たいがいが日のよく当たるところに植えられているせいか、喇叭が南の方へ向いていることが多いように思える。
誰が号令をかけるわけではなかろうが、兵卒の敬礼に似ているような気がした。

馬見丘陵の鶯はまだ笹鳴きである。初鳴きまではあとひと月くらいだろうか。
今日目撃した鳥。鶯、四十雀、メジロ、コゲラ、ジョービタキ、アオジ、白腹、トラツグミ、ウズラ、鵯、烏、水鳥では大バン、バン、鴨、金黒羽白、真鴨、小鴨、カルガモ、川鵜、青鷺。みな枯れて鳥が探しやすい。

海岸の花

ポスターのままの水仙眼の当たり
段丘を背に水仙の港かな
段丘を背に水仙の風除ける

水仙の名所というのは決まって海浜である。

よく知られるところでは、越前、爪木崎、潮岬など。どこも水仙以外には目を遮るものがなく、水仙の原がそのまま海へなだれ込みそうな勢いである。
綺麗なものを見て、美味いものを食えば旅の思い出は深いものになる。

信貴山詣での木橋

水仙と道中安全地蔵尊

大和川の水仙

かつてこのあたりに木橋がかかっていて、信貴山詣での善男善女たちが利用していた。

今は「多聞橋」と呼ばれる鉄橋に変わっているが、橋のたもとには昔から旅人の通行安全を見届けた「多聞地蔵尊」が立ち、今も地元の人々に大切にされている。この多聞橋はちょうど近鉄生駒線とJR大和路線の鉄橋の中間点に位置しており、車は通れないが地元の人たちが王寺駅との行き来に利用している。マイ散歩コースでもある。