水仙の門におりたつ車椅子
水仙のさなぎのごときヴェールかな
近所のデイサービスホームのアプローチの水仙がふくらみ始めた。
いまは蕾がうすい膜のようなもの包まれて、まるで羽化する前の蛹のようである。
送迎車から降りるたび、乗るたびに来訪者の目に止まって楽しませてくれるといいが。そんなことをふと考えながらホームを過ぎてゆく。
数日前、NHKスペシャルで脳科学者の娘と認知症の母親との日々を追ったドキュメンタリーを見た。アルツハイマー型認知症で脳の萎縮が進んでいるが、脳のすべてが侵されるわけではなく、人によっては高度で複雑な感情を司る部分が正常であることもある。言葉に発することは出来なくてもだ。
そのサインを細かく観察しながら冷静に寄り添えることによって交情が十分にはかれることも知った。もし自分が発症したとして路傍の花に気を止められるかどうか。身ほとりのちょっとしたことに目がいき、いくらかのプラスの感情をもたらしてくれるかどうかは、健康でいるうちの感受性をいかに養うかであると思うのだが。