文集に昔の吾や返り花
昔仲間と書いた会報が散逸していたのを再び集約して再発行したものが届いた。
仲間とはある大先生を慕う会で、年に一回会うおりそれぞれ近況を寄せ合って会報としていたものだ。その後先生が亡くなられたあとは集まることも少なくなって会報も途絶えている。
読み返してみると、自分の年々の仕事内容やら考えていたことなどが書かれていて大変懐かしい。しかも、自分でいうのも変だが、今読み返してみても己が書いたものとは思えないようないい文章を書いていることに驚く。
引っ越しの際かなりのものは処分してきたが、先生の書かれた詩集はすべて手許にある。もう一度読み返してみたら、今ならもっと理解できるかも知れない。
このところ同窓会やら昔の会報の再発行の話題など、いずれもよく続いているし、また保存されていたり、いいことですね。
かつて自分が寄せた文章を振り返って読んでみて、今流行りではないけれど、”自分をほめる”ことができることなんてなかなかできないことだね。
文章を書いた当時の自分と、現在の自分との違いが客観的に見つめられるのではないですか。
よくTV等でも取り上げられるけど、将来自分がどうなりたいか作文に書いて、小学校の卒業時にタイムカプセルに埋め、成人式等に掘り返して、現在の自分と比較している光景が見られるけど、それに近いかもね。
合唱団の方は、定期演奏会で一段落し、次の選曲に入っているけど、男声合唱とピアノのための組曲、宮沢賢治作詞「雨ニモマケズ」に取り組むことになりました。ユーチューブで他の合唱団が歌ったのを聴いたけど、良い曲だね。どのように仕上がって行くか楽しみです。
目標をクリアしたら次の目標へ。いいことです。
常に気持ちを前へ前へ持って行けるものがあることが大事ですね。
いいハーモニーに仕上がりますように。
昔、自分が書いたものを月日が経ってから読み直してみるとこの時こんなことを考えていたのかと懐かしさと同時に感慨深いものがあります。
幼稚だったな~とか結構いけてるな~とか思いは様々です。
母が読み書きが好きな為、昔書いた詩 作文 歌など沢山残してくれています。
父が亡くなり母が施設に入るに当たり仏壇の引き出しや戸棚からおびただしい書き物を見つけました。
私が中学生の時のものや孫、ひ孫の物まであり、気恥ずかしいやらよくぞ保存してくれたやらと感謝の思いです。
母自身のものもおびただしい量で又意外にも父の若いころの日記なども出てきていずれゆっくり目を通したいと思っています。
財産らしいものは何も残さなかったけどこれらの記録が心の財産かな~と思う昨今です。
三週連続で三重通いをしているものの読みだすと時間が経つばかりでちっとも片付かずどうしたものやらと悩みます。
いっそのことみんな捨ててしまえばいいのですが捨てるに忍びない・・・
普段はなかなか口にできないことも、文章なら何でも書き留めておきます。
お母様の知らなかった一面を垣間見られるのも日記を残されたからですね。時間をかけてご覧になるのもいいことだと思います。