菅笠の笑顔振りまきおん祭
一の鳥居すぎて底冷つのりくる
お渡りの仕丁焚火にゆるびけり
白足袋の隊士脇目もふりやらず
おん祭稚児よく的を射貫きけり
交名の風にちぎられおん祭
槍術の錬士気を吐きおん祭
楽人の松の下式底冷す
おん祭女児の中間槍を振り
白足袋の隊士かつげる野太刀かな
濃平汁児にふるまへる鳥居前
お渡りのまり始末もしおん祭
今年一番の冷え込みの日、「おん祭」のメインイベント「お渡り式」が行われた。
少々天気が悪かろうが絶対見に行くと決めていたが、やはり延々3時間以上寒風吹きすさぶ沿道に立って見物するのは容易ではない。と言ってみたところで、行列に参加する人に比べれば現代の完璧な防寒衣装に守られておるわけで贅沢な話だ。いっぽうの行列の時代衣装というのは見た目にもつんつるてんのものがあったり、足袋に草鞋や草履では長時間歩いたり待たされたり、お稚児さんなど風邪をひきはしまいか、そんなことが気になってしまう。
「おん祭」は約900年前、ときの関白・藤原忠通が度重なる飢饉、疫病の災害から免れるよう若宮の霊験にすがるため祭礼を行ったことに始まり、大和国全体の人々が参加する盛大な行事で重要無形民俗文化財に指定されている。「お渡り式」というのは、こうした人々が若宮が遷られた「お旅所」とよばれる行宮に各種の芸能、技芸を披露するために行列することを言う。
なかには、世界的に有名な女流映画監督や、地元名士などが馬上の人となったりして観衆を楽しましている。もっとも感銘を受けたのは奈良航空自衛隊学校の生徒さんたちで、奴さんの衣装に身を包み毛槍を捧げる「数槍(かずやり)」という集団の行進が一糸乱れぬ見事さで、当たり前とはいえ立派だったことだ。行列が終わったあとも稚児による流鏑馬を警護するような形で、捧げ銃ならぬ捧げ槍の姿勢で微動もしないでいるのにも驚いた。
行列に参加する馬もよく調教されていて大勢の観衆にも落ち着いていた。いったいどこから拝借してくるのだろうか。愛嬌は、彼らが道路に落とす糞を最後尾で拾い歩く係がちゃんと仕事をしていること。
延々とつづく芸の披露を見物するうちに午後三時もすぎてくると冷え込みがきつい。日没前に帰るには潮時だとばかり会場をあとにした。
以上のように句材もいっぱいあったのでおいおいと整理していこうと思う。
平安時代から連綿と続く伝統行事.。
奈良、春日大社ならでこそですね。
あの長い参道この寒さをものともせずに神事の行列が繰りひらげられる。
さぞや見ごたえあることでしょう。
今朝目覚めれば一面の銀世界、20センチは越えているでしょうか。
JRの駅までノロノロ運転で送り届けやれやれ・・・
取りあえず玄関脇の雪かき、道具がないので箒で払い除けるのみ。
後は連れ合い任せ、雪国の大変さを感じる朝のひとときでした。
皆様お気をつけて!!
毎年この時期の行事は、行列する人にとっては苦行かもしれません。あの宝蔵院流槍術の人たちは行進する際、気を吐くようにして寒さをこらえているようでした。道場着のようなものだけですからね。見ているだけでこちらも寒くなります。
ニュースで知りました。明けてみたら20数センチというのはびっくりだったでしょうね。きょう津をとんぼ返りしてきましたが、名古屋方面からの車が雪をまき散らしながら反対車線を走ってくるのが目立ちました。
大変な神事ですね。絶対見てやろうとの熱気もまたすごいです。
権力者も一般人民も神仏に縋って生きていた時代ならではの大行事ですね。綿々と続いているのが貴重です。
江戸時代からは郡山藩、高取藩、南都奉行の大名行列も加わったりするなど、祭の歴史に厚みをましてきたようです。大名行列と言えばやはり自ずと序列があるようで、南都奉行の方々の歩幅は郡山藩に遠慮して小さくしてあるそうです。やはり譜代柳沢家ですからね。郡山藩保存会のメンバーは数も多くて誇らしそうでした。