耳が痛いほど

伊賀越えて鈴鹿颪の石薬師

今日は三重の何カ所かを慌ただしく巡りました。

名阪道路で伊賀盆地を抜け最初に着いたのが鈴鹿。
石薬師のあたりはこの時期風が本当に冷たいです。
佐佐木信綱資料館というのがあるけどね、これは行ったことがない。
浪曲で知られる次郎長と安濃徳、黒駒一家(だっけ?)との決戦場だった荒神山も近いです。
(追:次郎長は吉良の仁吉の敵討ちのため後で参戦したというのが正しいそうです)

鈴鹿山系の山は時雨れていて、雪が降っているようでした。ときどきぱらぱらと雪粒も飛んできました。

“耳が痛いほど” への3件の返信

  1. 行動的に色々巡っておられ日記風に俳句を詠む、、、結構ですね。今日も沢山の話柄を提供してもらいました。書きたいこと話したいこといっぱいあるのですが、時間がない、、、サッカーのダブルヘッダー見なくちゃいけないので、、、。それで項目のみ。

    ①鈴鹿はサーキットくらいしか全国的ではないけど、五十三次のルートだし、いっぱいの人が往来したことだろう。源氏では六条御息所が伊勢に向かうところで鈴鹿川が出てくる。

    ②佐々木信綱、、、こんな偉い人が鈴鹿なんですね。万葉集もそうだけど、ボクにとってはやはり唱歌「夏は来ぬ」です。1~5番までまさに歳時記・季語のオンパレードですもんね。初夏に俳句詠むときは先ずこの歌を口ずさんで。。

    ③荒神山、、なつかしい。東映の正月映画はオールスターで次郎長ものが定番でしたよね、知恵蔵と歌右衛門で。ウチの下総・利根川では言わずとしれた天保水滸伝。飯岡助五郎&平手造酒です。。~~「止めて下さるな妙心どの、、、、落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、、、行かねばならぬのだ、、、」大衆芸能はすばらしい。

    1. いやあ、鈴鹿は第一名前がいいよね。
      壬申の乱のおり、大海人皇子が東軍の加勢を得るために桑名に向けてたどったのも布引山脈沿いの鈴鹿道。
      調べればもっと歴史秘話があるかもしれないなあ。
      次郎長ものといえば錦之介の石松も懐かしい。

  2. 三重に暮らしていたころは「灯台もと暗し」で、何気に過ごしていたのが今思えばもったいないことです。
    鈴鹿と言えば私は真っ先にセブンマウンテンぐらいしかうかびません。
    コメントを拝見して、へえっ~そうなんだという感じです
    秘めたる歴史がいっぱい、そりゃそうですよね、何しろ伊勢神宮のおわします土地柄ですものね。
    知らなかったことや興味にあることいろいろ勉強させてもらっています。

    錦之介の石松、懐かしい!!ファンでした。
    試験勉強もせずに東映時代劇にハマっていましたから。

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