時雨忌の暗峠雲の内
芭蕉忌やそぞろ手の伸ぶ時刻表
今月15日が陰暦10月12日、芭蕉忌である。
芭蕉が眠る大津・義仲寺のほかゆかりの伊賀、深川などでは毎年法要や句会が行われる。
芭蕉が亡くなったのは元禄7年(1694年)で、伊賀滞在中に奈良、暗峠を越えて大阪に入ったが病を得てしまいあれよあれよの間だったという。
そうなると、有名な「旅に病で」は辞世の句というよりは、本人としては思わぬ病を得たものだなあと言う程度だったのではなかろうか。
仲違いした弟子たちの取り持ちのために大阪入りした背景があるそうだが、だとすると俳聖の早い死は弟子たちの罪であるとも言えるだろう。
まことに仲が良いというのはいいことなのである。
今日は夕方から雨。生駒山地は低い雲が垂れ込めている。
訂正)芭蕉没年に間違いがありましたので訂正しました。thx to キヨノリさん。
弟子の諍いで心労を重ねたのが原因ならば罪なことですね。
仲良きことが一番の親孝行、師弟の誓いと心得たいですね。
雨の予報を前に急ぎ庭の手入れ、花の植え替えを済ませてスッキリしました。
ちょっと庭の模様替えをしたい心境です。
花壇は冬用に模様替えですか。雨でも明るくていいです。
当地の紅葉名所が佳境に入ってきたようです。
談山神社、吉野、高取城、信貴山。。。
すでに雨は上がりましたが、天気が本格回復する明日は大勢の人が押し寄せるでしょう。
折しも時雨模様で散歩は中止にしました。
芭蕉忌を時雨忌とも言うとは知りませんでした。そうですか、芭蕉は奈良から暗峠を越えて大阪に入ったのですね。確かに奥の細道を完歩してから5年、数えで51才。ちょっと早かったですよね。
(芭蕉の死は元禄7年です、念のため)
没年の指摘をありがとうございました。
芭蕉忌はほかに生前の俳号「桃青忌」、自らを翁と言い弟子たちもそう呼んだから「翁忌」とも。それぞれの謂われに因んで詠むといいですね。
時雨忌は陰暦10月の時雨月からと言われますが、私としては「猿蓑」の句、
のインパクトの方が強いと感じてしまいます。
「暗峠」という地名にも力がありますね。
一語だけで情景がぱっと浮かび、様々な想像をかきたてられます。
私は「猿蓑」の句から「時雨忌」と言うようになったのだと勝手に解釈していました。
生駒の肩に当たる部分の峠です。大和盆地から難波に抜ける峠はいくつもありますが、奈良から一直線の一番近い道で、今でも国道となっています。ただ、実際には頂上部分はとても狭くて急坂、「酷道」ファンの聖地みたいなところです。
神武東征軍を長髄彦の迎撃部隊がここで踏ん張って押し戻したといわれるところで、歴史ロマンあふれる街道ですね。