長逗留残る紅葉を諾へる
「残る紅葉」は「冬紅葉」の傍題。
実際に詠もうとすると意外に難しい。
季語だけで6文字を消費するので中七に置くことが多くなり、そのため下手すると上と下が分断されかねないからだ。
今日は「冬紅葉」の持つ凄みを増した紅葉のイメージを強めるためにチャレンジしてみた。
長逗留というのは治療のための湯治宿の滞在、あるいは札幌など遠距離に単身赴任を余儀なくされている身などを想定してみたが、いずれにしても予想より長引いてとうとう紅葉の季節も終わろうとしている。それも止むを得ないなあ、せめてこの凄惨な紅葉が慰めかと自己肯定している。
はてさて、そんな風に読んでもらえるかどうか。
「紅葉」と言うと真赤な色鮮やかな様が思い浮かびますがそれだけではないのですね。盛りを過ぎて落下しやがては土に還る。色々な様態に応じた言葉がある。深いなぁと思います。
歳時記をじっくり読めば読むほどその深さが身にしみてきますね。
今月の兼題になった「時雨」などはその典型で、関東平野のだだっ広いところに住んでるとなかなか実感が湧かないものがあります。
当盆地でも平坦部分では気づかないかもしれません。ちょっと小高いところにおりますと、今時雨が降っている場所が雲や雨柱などの動きなどから見えたり、それがまた移りつつある様までも手に取るように分かるので、すぐにそれが時雨だと分かります。
佐藤春夫の「時雨に寄する抒情」がいみじくも時雨の動きをよく言い表していますね。義父がこれを書にして額装していたのを覚えています。いかつい顔に似合わず意外にロマンチストなんだなと。