予兆

朝曇風呂をもらひに本館へ
朝曇塩を多めのゆで玉子

オーシャンビューが自慢のホテルなのに視界が開けない。

見えるのは足下のプールくらいで、ここは昨日親子が水遊びしていた場所だが、今朝はまだ誰もいない。
これが朝曇りと言うのだろうか。
朝曇りはこの日が暑くなる予兆という。確かに、日が高く昇るとともに気温がぐんぐん上がってきた。

大浴場は本館で、朝食は本館のビュッフェという決まりで、循環バスを待ちきれずブラブラ歩くことにした。
志摩半島はこの日、湿度80%くらい。とても呑気に吟行できるコンディションでなかった。


筆談

耳遠き人に構はず蝉時雨

雨が止むと今度はまるで耳鳴りのような蝉時雨に包まれた。

一斉に鳴くので、場所もどこかと分からぬほど全身を包むようにシーンという響きだけが伝わってくる。
余命幾ばくもない母を病院より退院させ最期を看取ろうと決めたのは4年前、ちょうどこの時期だった。
歳をとってから耳がだんだんと遠くなり、ついに筆談以外に話をする手段がなくなったのだが、この煩いほどの蝉時雨も本人にはまったく気づかなかったはずだ。

蝉時雨の時期になるたび、あの短かった看取りの日々を思い出す。


みなぎる

葉の陰を濃くして柿の青々し

充実してきた。

実が落ちるのも一段落して、残った柿の実が蔕の倍ほどもある直径にまで育ってきた。
実だけでなく、蔕もさらに青々している。
葉もすっかり濃くなって、その葉陰に青々した顔を見せている。
色づくまでの二ヶ月くらいはまだまだ成長するのだろう。


五感と空想

雪渓のひたひた痩せる雫かな

日本の氷河というのは僅かに立山連峰に残されているそうである。

近年の研究で分かったそうだが、やはり一般人には馴染みがないだろう。
一方で、「雪渓」となると季語に採用されている通り、是を目当てに山に登る人もいるくらいポピュラーなものだ。
山登りの経験のないものでも、写真や映画.テレビなどの画像は何度も目にしているので、想像で作句するのはそれほど難しくはない。勿論、経験者となれば体の五感で感じる世界があるわけで、それを表現した句となればより深い鑑賞を味わうことができるだろう。


挙げ句が掲句に

押売の来意に覚める昼寝かな

こう暑いと昼寝が欠かせない歳になってしまった。

短時間ならそうでもないが、いったん寝ると熟睡する性質のせいか多少の罪悪感はあるものの誘惑には勝てないし。
一応枕元に句帖やら文庫本などを並べてみるが、ものの十分もしないうちに深い奈落の底に沈んでゆく。

ここ数日などは湿度が低いのでエアコンの助けもいらず、扇風機の風で十分快適に眠れているが、好事魔多し。
チャイムに起こされてドアフォンに出てみると、太陽光発電はどうだとかこうだとか。挙げ句が掲句である。


粋と涼しさ

髷高く結うて涼しき女かな

祭髷と言うのだろうか。

男の祭髪が粋とするなら、女の祭髪は瀟洒とも言えようか。
粋も瀟洒も涼しいにつながる。
この「涼しい」というのは本人にとっての「涼しさ」では勿論ない。周りを涼しくさせてこそ、粋であり、瀟洒なのである。
自分だけが涼しくていいというのなら、それは単なる野暮というものである。


夏のトリコロール

シーサーが守る家の垣の仏桑花
貝殻の道は海へと仏桑花
空の青珊瑚の白や仏桑花

「仏桑花」は「ハイビスカス」の傍題。下五に据えるにはこちらのほうが良さそうである。

ハイビスカスの鉢は多く販売されるが、この花だけは南の島でないと絵にならない。
縁日などで買ってきても、あの大降りで派手やかな風情というのは、家の小さなスペースにはどう見ても似合わないのだ。
珊瑚や貝殻を割砕いた白い道が島を縦横に走り、観光用の牛車がのんびりと進む。その両脇の垣はハイビスカスで覆われていて、道路の白と花の赤と空の青が作り出す強烈なコントラストがあってこそ生きてくるのだ。


めざせ5000句。1年365句として15年。。。