フレーム

上手よりひとり舞台の秋の蝶

居間の窓をフレームとみてもいいし、舞台とみてもよい。

ふらふらと舞台の袖から現れたかと思うと、あちこちの枝葉の周囲を巡っては反対側の袖に消えてゆく。何を探しているのかは分からないが、短い一日を惜しむように命を刻んでいる。
目で追っかけていると、それはまるでひとり芝居の役者のようにも思えてくる。

ねこじゃらしかつては華のニュータウン

団塊の世代あるいはそれより以前の世代が住みついた新興住宅地。

都心まで一時間半ないし二時間もかかる広大なエリアがいまは見る影もなくさびれている。
近所にも高度成長期に造成された大きな住宅団地がいくつもあり代替わりしたところも少なくないが、櫛の歯がぬけたように更地になったり放置された住宅が目立つ。
条例では年に最低二回は草刈が義務づけされているが、それとても十分でなく荒れ放題の区画も目立つ。
ねこじゃらしの実も熟してきて、来年の種が風に揺れている。

水口

寝静まる街の側溝落し水

今年のできは順調のようである。

14号台風の影響もなく日に日に首を重くして垂れている。
このままゆけば二週間後の刈り入れだという。
このあたりでは先陣をきって水を落としはじめた。水口から落ちる水は数時間たっても勢いよく音をたてている。今夜いっぱいかけて落としてゆくのだろう。
今日見かけたのは農薬が入っているので、水口には生きものの姿が見られないのが寂しい。

人海戦術

台風の東ひがしへ海へ抜け

すぐに熱帯低気圧になったが局地的には大きな被害がでたようだ。

小さな台風だと言って侮ってはならない。油断ならないこのごろである。
今晩のヨコハマ球場の野球中継をみていると、雨の影響で開始時間がかなり遅れたようである。関東には長いあいだ雨が降ったとみえる。人工芝球場だから水もすぐに抜けるのではないか、あるいはそのような仕掛けがあるのではないか。あるいは特注のバキューム車でフィールドの水を吸い上げるとか工夫があるのではないか。
ところがおどろいたことに人力作戦。人海作戦でひたすら外野フェンス際に雨を掃き寄せるのにはおどろいた。
こんなところにも日本の遅れているところが垣間見えて、寂しいやら侘びしいやら。

交通量

連休の街の静寂や蚯蚓鳴く

今日は朝から雨で畑は終日休み。

まだまだやることが残っているのだが、この雨でほうれん草など順調に発芽してくれればいいのだが。
秋口以降比較的雨が多くてありがたいのだが、そのせいか畝には蚯蚓が目立つようになった。
一昨日など鍬を入れるたびに蚯蚓が千切れてのたうち回るのがやたら多かった。
夜ともなると耳鳴りのような音がし〜んと聞こえてくるようで、まるで彼らの恨みを聞いているような気持ちになる。
時折車が通る音以外、静かな秋の夜が続く。三連休で交通量が減っているのかも知れない。
ただ救急車だけは煩くてかなわない。丘の上に巨大な老人施設がある関係もあるのだろうか。

品が悪い

二杯目の椀をつきだすうなぎ飯

うなぎがなくてもたれだけでうまい飯が食える。

それがお気に入りのうなぎ屋。
相伝のたれで長男以外は引き継げない。したがって支店も出さないという頑固なうなぎ屋である。
土用の丑の日は休業で、うなぎを地元の海に放流して供養するというのも今の世の中で変わっている。
コロナ以来出かけてないし、本当に久しぶりのうなぎかば焼きとたれのセットが届いた。
ふだんはまずご飯をお替りしない家人もこの日ばかりは二杯目に挑戦。残ったたった一切れの尻尾でも、残ったたれを茶碗にたらせば軽くいっぱいはいける。下品と笑わば笑えである。旨さには勝てない。

重宝

勢ひの鈍り秋茄子味まさる

毎日毎日秋茄子が食卓にのぼる。

なるほどたしかに秋茄子はうまいのを実感する。
夏場は暑さと水が足りてないのか花も少ないのだが、暑さのピークを過ぎる盆あたりから再び成長カーブにのってたくさんの実をつけるようになった。これが同じ株から採れたのかとおどろくくらい味がまるで違うのである。
枝葉の成長が一段落すると、その味に何とも言えない旨味、深みがのってきて、これでは夏の茄子はたいして収穫できなくても秋に頑張ればいいとさえ思えてくる。
まだしばらく30度の日が続きそうだし、体を冷やす効果があるという夏野菜は重宝する。