清涼剤

ままならぬ雨の続いて落ち実梅

そろそろ採らねばと思っているうちにどんどん落ちる。

明日こそこの雨も止むらしいから、優先度をあげて朝からトライしてみようと思う。
梅ジュースだが、今朝の家人の話では酢を入れる方法もあるようである。なるほど、梅と同量の氷砂糖ではやはり大人には甘いところがあるのでいいかもしれない。風呂上がりなどはその酸味がいい清涼剤と化してくれるのではなかろうか。
それはともかく、もう採らねば量も確保できないので明日一番にやっつけることとしよう。

口汚し

葭切や権座通ひの水脈引いて

いつものZOOM句会の日。

毎回二つの兼題が出されるのだが、「葭切」という題は一句も作らなかった。というのも二つ目の「オリーブの花」に無謀にも全十句出句したからである。
オリーブの花を庭のシンボルツリーにされているお家もあるが、やはりオリーブと言えば瀬戸内、それも二十四の瞳の小豆島のイメージから離れることができない。この染みついたイメージからなんとか逃れるべく悪戦苦闘したというわけである。
結果、可もなく不可もなし。満足できる句は授からなかった。
口汚しのつもりはないが、葭切の習作である。

荒廃

雨あとの草みな伸びて茄子の花

ひと雨で景色が一変する。

庭もそうだが、耕作放棄地などにはどこも夏草がぐんと背を伸ばしている。たくましいと言えばそれまでだが、農耕をはじめてこの方、人類と草とは永年の戦いの歴史がある。草を抑えなければ作物はできないし、農業とは草との折り合いの歴史そのものであると言ってもいいだろう。
鎌などの農具も近代までは古今東西を問わず同じようなものが誕生している。現代はずいぶん近代化、機械化されてより迅速に、より短時間に、大量の作物生産が可能になった。
政府は大規模化を目指しているようであるが、零細な、細分化された農地が多いこの国ではたしてそれだけで農業再生ができるかどうか。見放された土地の荒廃がさらに進むだけのように思えてくるが。
インドを原産地とする茄子は水をもっともほしがる。雨がつづいて茄子の花がさらに増えたような気がする。

駅浸水

週末に水配られて田を掻きぬ

上の田から順に下の田へ。

今年はいつもより早めかと思う水配り。
雨が順調に降って山の中腹の池も満水に近いと思われる。水の心配もなく今年は幸先いいスタートが切れたようである。
だが、昨日は駅の線路まで浸水して大和路線は運休となるくらいの豪雨で、降りすぎるというのも困りもの。田植まで何ごともないように祈る。

臨時早退

日もすがら沙羅の落花の腐し雨

一日花だから毎日咲いてはこぼれてゆく。

そういう性格の花だが、この豪雨にたたかれていつもより多くこぼれ色あせてゆく。
まさに諸行無常の象徴だが、雨となるとひときわその重いを強くする。
今日は朝から大雨、洪水、土砂崩れ警報が出て、当町では高齢者は避難するよう防災放送があったり、スマホの災害警報がけたたましく鳴ったり、いやはや騒々しい日であった。
さいわい、数時間で解除されたが、当町はとりわけ大和川に近い地域は何度も浸水の被害にあっているし、崖の多い地区もあるので、役場の人たち、消防団、そして介護施設職員なども大変なことである。
共稼ぎの隣家には小学生のお子たちがいるが、午前中に早々と休校となったなったようで、先生たちに連れられて帰ってきた。上の子はもう高学年なので留守をしっかり守っているようだった。このようにして、昼間親御さんの居ない家庭の子供たちはたくましく育ってゆくのにちがいない。

梅雨入りさまさま

兼業のけふは畦塗アダプター

鍬を器用に使った畔塗りというのをめっきり見なくなった。

畔には波板を立てて水漏れを防ぐのもよく見る光景だが、耕耘機に畦塗り用のアダプターを取り付けてまたたくまに畔のトップと壁を一気に整える方法もあるようである。
一枚の田を塗るのにおそらく一時間もかけずに済ますという、徹底した省力化が可能なのである。
鍬で丁寧に塗られたものに対して、はたしてどこまで機能するのかは知らない。土竜のトンネルからよく水が洩れてくるようだが、これは手塗りでも防ぐことはできないはずだから、傍から見ているだけでは何とも分からないというのが正直なところだが、そこそこいけてるのではないだろうか。
盆地を走っていると代掻きも終わった田がいくつも見られるから、今年の盆地は田植えが早いのかもしれない。梅雨入りさまさまであろう。

一日30分

梅雨晴の髪かき上ぐる鏡かな

バリカンで髪を切るのにも馴れてきた。

今では30分もかからずほとんど手前バリカンで刈ることができるようになった。家人の髪も虎刈りせずにわりにスムーズにできるようになったし。さすがに項の生え際を切りそろえるのは家人任せになるが、左右バランスも悪くはなくて悦に入っている。
ただ、刈った後の始末で我ながらためいきが出るのはそのボリュームの差である。家人のはむしろ黒さも増したような気さえするうえに、こちとらとくれば掃いて集めてもこれっきり?というくらいに貧弱なのである。
さらに、遊びでVOAのリスニングテスト受けてみれば、初心者クラスと診断されてレベル1からやるのがいいと言われる始末。かつてTOEICで750点以上取れていたころのあの耳はいったいどこへ行ったのか。
くやしいので、いちから出直しのつもりでリスニングを鍛えてみようと思う。教材を手許に一日一句ならぬ一日30分を当てようかと考えている。