端境

鹿寄せに客の寄り来る古都師走

今は恒例となった年末の飛火野の鹿寄せが始まった。

師走ともなると観光の雑踏も一段落するせいか、集客の目玉にしようと春日参道脇で、ホルンに集まってきた鹿たちに団栗をふるまうのだ。
大仏殿は相変わらずの人混みだが、寒くなると、あの広大な奈良公園を横切って春日の方まで行こうと思う人も少なくなるのではないだろうか。現に、筆者自身もそうであり、何かイベントでもないかぎり近鉄奈良駅から20分以上もかけてあのだらだら坂を行く気にはなかなかなれないものだ。
今は御造替関連イベントもだいたい終わったことでもあり、中旬のおん祭までの期間を狙って鹿寄せは続く。

「のぞみ」出現以来

出張も日帰りとなり十二月

十二月は出張といっても相手も忙しい。

打ち合わせが終わっても、では次の席で、とは簡単にいかず日帰りとなるケースも多い。
特に、「のぞみ」とやらが出てきてからがいけない。
東京から近畿圏ならば日帰りは当たり前となってしまったので、せわしくていけない。また、駅弁など食べてなど行き帰りの旅程にともなう楽しみも、携帯パソコンに奪われて味気もなくなった。

出張から社戻りなんぞあろうものなら最悪だ。

綿虫日和

風鎮の杜のざわめき神迎

十一月も末。

龍田大社まで足を伸ばしてみたが、終日曇りで風もなく、まさに綿虫日和。
案の定、行くところ曲がるところ、どこでもふわふわと綿虫が泳ぐように浮いている。
人の目の高さを飛ぶせいか、ぶつかりそうになるが、目纏のように目に入ることはない。

龍田大社の創建は崇神で、天武が始めたという七月の風鎮際の手花火でも知られている。
龍田越えで難波から帰ってきた虫麻呂が後から来る主人のために、まだ桜が散らないよう、風鎮めの祭をしようという長歌にも詠われており、その万葉歌碑が舞殿の横に建立されていた。まだ日が浅い感じがしたが、広く取った敷地にはツツジの返り花も。

紅葉もいよいよ終盤となってきたが、さすが龍田さんのことだけはある。
残り紅葉には濁りも少なく、何とも言えない気品さえ感じることができた。

余念なく

初霜や園児のママの立ち話
初霜に始まる晴レの日でありし
初霜や喪中葉書の日々届き

朝八時前つぎつぎと親子がやって来る。

更地の隣接地前が幼稚園バスの停留所。新団地のせいか子供が多く、とりどりの色をした幼稚園バスが行き交っている。隣りに停まるのはその一つで、舗道あふれんばかりに賑やかになる。
子供たちを見送ったあともママたちは立ち話に余念がない。初霜のおいたところにいることなどまるで眼中にないように。

予報によれば明朝は2度。初霜が見られるかもと言う。

香を待つ

花柊猫だけが知る通り道

あのギザギザの葉の下を抜けて隣家から猫が出入りする。

太めの猫だが、体を低くしてくぐるようだ。
柊は今年も花をいっぱいつけたようだが、まだ開ききっていないせいか、匂いはさほどまだ強くない。

花が咲き始めたら、次は香りを待つことになる。

限りある輝き

御造替なつて本朱の冬日かな

丹塗りの句は先に詠んだが、再チャレンジ。

本朱とは硫黄と水銀の化合物からなり、時間の推移とともに渋味のある色に変化するので「神さび」の趣を強くするとされるが、本朱だけを使うのは春日の本殿だけという。一般には、鉛入りの鉛丹や酸化鉄を含むベンガラなどの顔料が使われるのが一般的である。
水銀の使用は世界的に見ても厳しい制限があり、過去60回休みなく続けられてきた式年造替のためとはいえ、塗料を確保するのはより厳しいものがあろうが、何とか伝統を守継いでもらいたいものである。

白鷺城の白漆喰同様、まっさらな白や赤を目にすることとができる時間は限られている。今のうちに目に焼き付けておきたい。

これも冬迎え

フレームの朝に見つけし花芽かな

急に冷え込んできた。

朝の最低気温が3度と聞いて、庭のものを片付けることにした。
大方は部屋に取り込んだが、外に残したものには霜除けをかけてやったり、ビニール温室におさめたり。

マニュアル通り、先週吊した柿を揉んでほぐすことも忘れない。ついでに、ジャムにすると言うので姫柚子というのだろうか、花柚子が今年は小さな実をいっぱいつけたのを収穫。
朝は冷え込んだが、今日は気温も上がって終わった頃にはいい汗を掻く一日となった。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。