拾い歩く人

教団の街の並木の薄黄葉

銀杏並木の絵となると神宮外苑がすぐ頭に浮かぶ。

ことに晩秋の落ち葉を深く敷いた光景は印象的である。
キャンパスに銀杏並木も多いが、さしずめ北大が最有力といったところだろうか。
当地では、天理市の街路樹のこれからが素晴らしい。特に、大学前の目抜き通りなどは一見の価値があり、石上神社へゆくついでと言ってはなんだが、立ち寄ってみるのも一興であろう。
今日は、大和川をはさんで対岸の住宅地では、早くもポリ袋を片手に銀杏を拾う姿を見かけた。
街路樹というのは落葉樹だから、これの種類も大きさも揃った街路が、これから一年でもっとも美しいシーズンを迎える。

情がじゃまして

西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声

桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。

ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。

放心の後ろ姿

逝かるべき母の秋思の気高くも

今日は八回目の母の忌日である。

母は人一倍の暑がりで、その年の秋が訪れても毎日クーラーが欠かせず、それでも暑い暑いと訴えるのだった。
ある日の夕方、気がつくと網戸を開けて何を考えるのか、まるで放心したように柱にもたれては外気に触れるのを見た。
その後ろ姿はどこか気高いものを感じさせ、声をかけるのさえためらうのだった。
そのあと、一か月もしないうちに母は旅立った。
今朝はいつも以上に時間をかけて心経を供えた。

無事に

颱風を追ひ打つごとく夕茜

不気味な雲が西へ飛んでゆく。

あきらかに台風は去ろうとしているのは分かるが、その黒雲がこれまた不気味にも夕焼けているのだ。
ただそれは尋常の色ではなく、橙がかった色が雲といわず空全般に広がっているのだ。
なにやら不吉を思わせるゆうやけで、これから上陸するという静岡、関東の無事を願うのみである。

狩野川台風並みとは

月無くて明日の闘球なかりけり

本来なら後の月ですばらしい月の夜のはずだが。

台風の影響であろう、空気はやや熱と湿気を帯び、ちょっと動くだけで汗が流れてくる。
ちょっと動くというのは、台風に備えてのいろいろのことで、殘り蚊に刺されながら重いものを動かすなどなかなか重労働である。
とはいえ、先般の風台風でひどく被害を受けられた地域の方々のご苦労に比べれば何と言うレベルのものではないが。
四年待ったラグビーW杯の好試合二つがすでに中止と決まって、首都圏はじめ各地が緊張に包まれている。ひたすら無事を祈るしかない。

とりとめのない話

菊の日の茶飲み話の余生かな

今年は10月7日が旧暦9月9日。

つまり、重陽の節句であるが、菊酒を飲むでもなく、高きに登るわけでもなく、いつも通りの時間を家人と過ごすだけである。
この日は高きに登って長寿を願う日であるわけだが、延命措置はしてくれるななど、いつものとりとめのない話に終止して、幾病かを抱えながら老いていくのみである。

一見の価値

夕月の刃蒼みてすさまじき

びっくりするほど鋭い。

触れれば指が切れるような凄味を帯びている。
夜になるとやや黄味がかかってやわらかい月に戻るのだが、この時期の夕月はもう冬の冴えの様相を見せ始める。
明後日が後の月で旧暦九月十三日、十三夜である。今宵は十一夜であるが十分に美しい。
しばらく立ち止まっていると、露がまといつきそうなほど夜は冷えてきている。
長時間は見てられないが、十三夜は台風の影響があるかもしれないので一見の価値のある今夜の月である。