勲章

はらからを叱る長女の汗匂ふ

今日も汗をいっぱいかいた。

汗というのは貴いものだと教わったが、近年は不快なものの代名詞のように思われてはしまいか。
やれ、制汗剤だの、汗取りシートだの。

ぐっとさかのぼって、近所にひとつ年上のお姉さんがいた。美人ではけっしてなく、父母を助けていろいろな家事をこなしているので顔は真っ黒けに灼け、あか抜けたところなど何一つなかったが、多くの弟たちを一喝で黙らせる肝っ玉姐さんであった。
ただ、他人にはちょっと人見知りするというのか、シャイなところがあって、近づくとすっと避けるようにするのだ。
たぶん、そのわけは彼女の体質によるものだと、小さいながらも理解できた。彼女の汗がすえたような匂ひを放つのだ。「わきが」というやつだろう。
ただ、働き者の彼女を揶揄するものなど誰もおらず、いま思えばあの匂ひは彼女の勲章だと思えるのである。
あの日から60年。彼女や一緒に遊んだわんぱく小僧はいまどうしているだろうか。

サンスクリット?

棚経のふりがな追へる唱和かな

昨日の続き。

住職の読経はとても早くて、追いつくのが大変だったが、今年の副住職はまるで逆。自分がふだん読んでいるテンポよりはずっと遅く、おそらく素人が唱和しやすいようにとの配慮だと思うが、それがかえってテンポを狂わされて息継ぎがうまくいかない。
まして、ふだん読んだことのない「大悲心陀羅尼」
は、漢字を追うと言うよりふりがなを追うしかない独特の読みなので、いくらゆっくり読んでいただいてもとてもじゃないがついて行けない。
あれは、サンスクリットに近い「音」なのかもしれないなと思った。

新盆旧盆

盆僧のもときた道を返さざる

今日からお盆。

母の送りのときお世話になったお寺から毎年來ていただいている。
住職は永年おつとめの永平寺から戻られた昨年の盆、久しぶりにおつとめをいただいたが、今年はさらに重職に就かれたとのことで、子息の副住職がお出でになった。
例年は、スケジュールが目白押しとみえて慌ただしくお帰りになるのだが、今年はいつになくゆっくりお話を聞くことができた。
ただ、車の向かう方向はお寺とは正反対の方向で、おそらく次の檀家の元へ向かわれたのであろう。

憎めない川

燃えぬもの磧にからむ出水跡

水は引いたが相変わらず、ポリ袋などが磧の柳に無様に翻っている。

水質でワーストテン常連だが、水が出るたびに盆地のゴミを運びくる川は、見た目にもワーストテンには間違いなくはいるであろう。
そうは言っても地元の川であり、憎めない川ではあるのだが。

体たらく

炎天の瓦礫の山に立ち向かふ
汗つたふ戦闘服とヘルメット

明け十日。

炎帝の支配のもと、水まだ引かぬ町、道路、壞れたままの家。
この荒梅雨がもたらした炎熱地獄に、行方不明者の捜索、泥かき、後片付けに追われる被災地。

被災地の地獄を思えど、昼過ぎに早くも音をあげてエアコンにすがる体たらく。明日はわが身かもしれぬのに。

義援金は被災者に、救援金は復興に使われるという。せめて貧者の一灯を。

地球たえだえ

瀬戸内の濁りしままに梅雨明くる

今年の梅雨は忘れられないものになった。

想像もつかない地獄だ。
大洪水に次いで、この炎暑。
地球の息づかいが荒れて、明日はわが身かもしれない時代。
老幼、弱者はじめ被災者に、一日も早く安らぐ日が訪れますよう。

見てきたような嘘をつき

月見草蛹どこぞで皮脱ぐか

見たことがあるかと問われても答えられない。

見たことがあるかもわからないし、やっぱり見たことがないかもしれない。
今では珍しい花となっているようだし、だいいち夕から夜にかけて開くというごく地味な花だから、見逃していてもおかしくはないだろう。草花に気を向けるようになったのは、俳句をやり始めてからであり、それでさえ日が浅いのだ。
私にとって、月見草ときいて反応できるのは、大宰、野村元監督くらいである。ふたつとも、大きなもの、立派なもの、派手やかなものにたいするささやかな存在として描かれているが、実はそれぞれ再起を期す決意、おのれの矜持を秘めているように思える。
月見草は、同じく夜に開く待宵草と混用されているが、生命力にあふれる待宵草に対して、本家の月見草は栽培も大変難しいようで、苗を求めようにもまずは見つからない。
したがって、習作は取り合わせという形式に頼らざるを得ないが、どんなものだろうか。