木造家

白粉花の暮れゆく二軒長屋かな

そろそろ白粉花の季節。

この花の名を口にするだけで、幼い頃の記憶が蘇ってくる。
昭和の20年代というのは、住宅復興もまだまだ進まず公営住宅に入ろうにも高い倍率であった。たまたま市営住宅に当たったとき、「宝くじに当たったようなものだ」と父は口癖のように言うのであった。
そのせまい平屋住宅を飾るでもなく白粉花が咲いて、それが妙に木造の二軒長屋には似合うのだった。

やっと普通の夏日

ハリケーンの国より電話野分なか

拍子抜け、肩すかしとはこのことか。

やっと夕方になって雨が来たが、普通の雨と何も変わらない。風も吹かない。
これが盆地の天気だ。
険しい風雨は中央構造線を越えては盆地に来ないのだ。
だから、水不足には昔から悩まされてきたし、たまにちょっと降っては元来湿地帯であった盆地は洪水に悩まされてきた。
気温が30度切ったのは今日の救いである。

百年時代

延命措置互ひに拒み生身魂

昔は七十歳と言えば、もう立派な生身魂。

子規に、

生身魂七十と申し達者なり

という句にあるようにおそらくそれこそ「古稀」であったのだろう。
百年時代といわれるいま、爺婆そろって元気は何よりだが、おたがいに延命措置は望まぬことを話し合っている昨今である。

香良洲の梨

梨送ると義姉の電話の声の艶

滅多にかけないし、かかってこない電話。

世間とも距離をおいているので、毎日静かなものである。
今朝の新聞にも、還暦ともなれば友人関係も断捨離して誰にも気兼ねない人生をという記事があった。
手始めは年賀状からとあったが、それはもう古稀を機に会社関係を中心に大幅に減らした。
逆に増えているのが俳句関係であるが、これも好きな俳句を続けるための身過ぎである。
本当の意味での人間関係の断捨離などほど遠いわけであるが、それもまた浮き世。渡世である。
夫を早くに亡くし、兄の介護におわれる義姉だが、いつもの元気な声に安心する。
櫛田川河口の香良洲特産のりっぱな梨が今年も届いた。

果てしなき闘い

エレベーター見知らぬ人と秋暑し

朝のうちに回覧板を回すといってもやはり暑い。

宅配で届く荷だって中までむんむんと熱い。
台風の余波なのか風も熱風で、西日を避けるための葭簀もその熱い風ですぐ倒されてまったく役に立たない。この分では毎日残暑の句が生まれそうだ。
炎帝との闘いはいつまで続くのか。

逃れられない

渋滞を抜ける細道雲の峰

それは見事な入道雲が横並び。

暦の秋とはうらはら。
空も、地上の熱も悲しいほどに真夏である。
その向こうに台風が控えている空とは思えないほど碧い。
予報では15日くらいに10号が上陸するやもと。
このまま西日本に向かえば、8年前の紀伊半島豪雨と同じコースをたどるらしい。
歴史は繰り返すと言うが、自然も同じこと。小さな存在でしかないものはただ従うしかない。

甘酢がうまい

窮屈な鉢にのぞける花茗荷

ちょっと気がつかないうちに、いくつも花が咲いている。

花になる前の茗荷の子もどっさり。
プラの鉢がはちきれそうに株が増えて、今年は大豊作だ。
両手に余る花茗荷、茗荷の子を摘んでもどると家人は甘酢に漬けて食べるという。
胡瓜と並んで、茗荷の甘酢がさっぱりして食が進む。
と言っても、昼は素麺が多いのだが。
そういう意味では、食はまだまだ夏のものだ。