紙情報

そぼたるる夕刊受くる冬の雨

天気が悪くても新聞が濡れて届くことがなくなった。

配る前の一手間かけたビニールのおかげである。
と言っても配達する人にとっては、この手間がふえることは大変だろうし、まして冬の雨となればちぢこまった体で滑りやすい路面を注意深く走り、一軒一軒配ってまわるのも難儀であろう。
最近はインターネットの普及などもあって、新聞を読まなくなった人が増えているという。
新聞を読まない層が自党の支持層であると放言する与党幹部もいて、たしかに数年にわたる巧妙な印象操作作戦がここかしこに仕掛けられているのは間違いなかろう。ネットというのはご親切にも見たい記事ばかり推薦してくれる仕掛けになってるようで、これがいいか悪いか、得る情報には偏りが生じがちである。
心に余裕をもって紙面を開けば、いろんな分野の思いもかけない記事に啓発、触発されることも多く、偏りがちな思考にいい刺激となってくれるものだ。
なんでもかでもペーパーレス、キャッシュレスの時代だが、とりわけ紙情報はなくしてはならない貴重な情報資源である。各紙も本来の社会の木鐸となるべく、努力を惜しまないでほしいと願う。

眠る

育苗にあてる辺りを冬耕す

駅からの近道は田んぼのそばを通る径。

さすがに夜は真っ暗で通るわけにはいかないが、ここを通るたびに近辺の田仕事の時節を教えてくれる場所である。
先日通りかかったら、田の隅だけに畔が切られて耕してある。そのほかの拾い部分はいまだ穭が青々としたまま残されたままだ。
おそい大和の播種だが、苗床だけは早々とその準備が整っているわけである。
これから半年近くの間、盆地の田んぼは長い休みに入るのである。

買物弱者

お総菜物色をするマスクかな

家人のスーパーにつき合うのは苦手だ。

とくに、いけないのが鮮魚、肉、乳製品など要冷蔵品売場である。これでもかと低温をきかせるので、近づくだけでもう悪寒を覚えそうになってできるならその前には立ちたくはない。
夏でさえそうなのだから、冬ともなるともっとひどい。
荷物ならいくらでも引き受けるから、どうか早く済ませくれと願うばかりである。
このあたりは、スーパーも遠く車無しではやっていけないが、足のない人は電車にたよるしかなく、夕食のおかずが足りないからとちょいとそこまで下駄履きでというわけにはいかない。
今日もまたお年寄り一人がスーパーの袋をいくつも抱えて電車に乗ってきた。

暗峠粧う

平群谷西を東を紅葉谷

平群谷はいま雑木紅葉が真っ盛り。

西側は生駒から暗峠、そして信貴山にかけての生駒山地、そして東側は矢田丘陵に囲まれて、近鉄生駒線の短いローカル線はちょっとした旅心をさそわれる。
今日はまたとくに、暗峠に日が当たりそれはそれは雑木紅葉が見事な景観を見せてくれていた。
信貴山の御鉢はすでに葉を落として冬木立となっているようで、午後の光に何本ものシルエットを見せている。
きょうの紅葉をピークに、やがて冬の色を深めてゆくのだ。

持ちつ持たれつ

ねこじゃらし枯れてこぼれて群雀

あのブラシの尾も葉っぱもみんな枯れて真っ茶色だ。

ひとの気配がなくなると、さっと電線から雀たちが降りてきては、なにやら猫じゃらしの根元をしきりに啄んでいる。
どうやら、ブラシのような穂から種が溢れているらしい。それをしきりに啄むのである。
最近はこのような群雀を見かけることが少なく、珍しい光景を見たものだと思う。宅地は開発され野原が少なくなるいっぽうで、道路などは舗装されさらに雑草の生きる空間も減るなかで、雀たちにとって生きづらい世になったものだが、このようにして冬を食いつないでいたのだなと思うと哀れをもよおさざるを得ない。
猫じゃらしの夏は猫の遊び相手となり、冬は雀を養う。雑草といえども、生きとし生けるものにとって世の中は持ちつ持たれつでできているのだ。

思い出せない

畝傍山まどかにいます冬の靄

今日の盆地は終日冬霞がかかっていた。

耳成山はもともとどこから見ても円い形をしているのですぐに見分けがつくのだが、今日天皇皇后両陛下が参拝された神武天皇陵のおかれる畝傍山は見る角度によっては鋭い稜線が立っていたり、台形のような形にも見えたりとかして、遠くからだと確信をもって言い当てることもできないことがある。
まして、今日のように青垣のすべての山襞から雲がわきたつて、低い雲が盆地全体を覆うような重苦しい空気に包まれてみると、北東方面から見た畝傍がまるで耳成と同じように円くみえてしまって、いったいどちらがどちらださえも判然としなくなる。

終日の靄は夕方にも美しい景色を見せてくれた。
飛鳥からの帰りの西の空、薄靄の葛城山に夕日が沈みかける、どこかで見たことがあるような日本画の夕景であったが、誰のどんな絵だったかしきりに思い出そうとするのだが、固い頭にはそれ以上の追憶を許されないのであった。

堆肥作り

そこそこで済ます挨拶冬めける
三々五々ボランティア来る落葉掻

今日は風がないものの、重そうな雲が垂れ込めていよいよ冬めいてきたように思う。

行き交う人も挨拶もそこそこに足早に去って行く。
いつもの散歩コースは週末に町民マラソン大会のコースとなっていて、有志のかたがたが落ち葉を掃くのに忙しい。
掃いても掃いても風で飛ばされるんだよとぼやいておられたので、車に積んであった大きな袋にいっぱいいただくことにした。もちろん、落ち葉の堆肥作りのためである。櫟、楢、紅葉の落ち葉だから最高級のものができるはずである。
天気をみて庭に穴掘り牛糞などをまぶして土をかぶせておけば、再来年にはもう土と見分けがつかなくなるはずだ。