米袋

三十年続きし御世の今年米

店先の米袋には平成三十年とある。

平成最後の新米と分かっていると、心なしか惹かれるものがある。
来年の米袋にはどんな元号が記されるだろうか。

鴨はまだか

鳥渡る暁けの原野の色なして

渡りの本格シーズン。

野鳥の会のレポートによれば、五條市、曽爾村などではすでに九月末から鷹の渡りが確認されている。
北の空でも、オオハクチョウ、ヒシクイといった大型の渡りが見られ、北から南から鳥が渡ってくる日本という国のなんという素晴らしさ。
当地では、鴨の仲間が多く、大型の雁というのは見られないが、それでも小鳥も含めて楽しめるシーズンが半年続くかと思えば愉しくなるではないか。
関東ではもうかなりの種類の鴨が見られるのではないだろうか。

コンバインちらほら

水の苦労みんな忘れて晩稲刈る

盆地がようやく稲刈りシーズンを迎えた。

今では米の改良も進んだんだろう。10月に稲刈りするところが少なくなった。
ところが奈良では盆地部だけは田植えは夏至を超えてからだ。溜池頼みだから、万年水不足に悩み梅雨入り後の雨水に期待するわけだ。
山地部では山からの水があるので、全国標準並みで稲刈りは9月にとうに終えているというのにだ。
世間に比べればいつの間にか盆地部だけが目立ってしまって、「晩稲」の部類に属してしまったという印象が強い。

七回忌

仏壇にもいで減らざる庭の柿
菩提寺の供物に二個の庭の柿

生り年なんだろう。

隔年結果とならないよう前年かなり剪定したはずだが、枝という枝に鈴生り状態である。
ただ、ついこの前まで猛暑でいたときには実がまだ青く、収穫できるのはまだ先だろうと踏んでいたら、ここ二三日で急に成熟がすすんでかなりの数が熟柿状態となってしまった。
放置していたらみんな熟柿になってしまいそうなので、今日はずっしりと重くなるくらい捥いだが、とても食べきれない量なので近所にもお裾分け。
毎年、熟柿は鳥さんたちへのプレゼントになるのだが、今年はまだ鵯もやってこず、かれらが来るころにはもうみんな落ちてしまうのではないかと心配になる。
今月26日は子規が例の句を詠んだ日といわれ、当地では「柿の日」として無料で振る舞われる日だ。そういう意味でも今年は意外に成熟のペースが早いという、不思議な年である。

明日は、母の七回忌。
菩提寺の十一面観音さまへは、庭の柿もそなへようと思っている。

本流をゆく

手拭を肩に案山子の心意気

トラディショナルな案山子を久しぶりに見た。

竹を十字に組んで、古浴衣を着せ、目鼻はへのへのへ、それを手拭の頬被りで覆ったやつである。
それも二体、相並んで睨みをきかせているつもりのようだ。
近年は、最新ファッションに身を包み、遠くからとか後ろからだと人と見分けがつかないタイプが、本来のフィールドを飛び出して駅前だとか、街中に立っては町おこしに一役買っているものが多い。当初の機能など鼻から期待してないのは明白である。
そんななかで、昔ながらの案山子道本流をゆく潔さを目の当たりにすると思わず声をかけてやりたくなる。
「よっ、大統領!」

高原の落日

落日の大芒野を荘厳す

日がまさに沈まんとするとき、光芒は頂点に達した。

山の端に日が沈むまで誰も帰ろうとはしない。
あるものはシャッターを切り続け、またあるものは凝視したまま動かない。
空は澄み、風も穏やかな日と言うのは、年のなかでも数えるくらいであろうし、こういうシーンにまさか恵まれるとははるばるやって来て本当に良かったと思う。
県内の曽爾高原の芒原であるが、もうあれから何年たつだろうか。秋が来ると、あのときの感動を句にしようともがくがいまだに授からない。

篤信のひとびと

奉仕団軍手真白き寒露かな

境内を掃く音だけが聞こえる。

ボランティアが黙々と箒をもってきれいな掃き目をつけてゆく。
信心に篤いひとたちに話を聞けば、一様に「生かされている」ことのありがたさを言う。
おざなりの参拝しか知らないものには、ただ「ごくろうさま」と心の隅でねぎらうことしかできないが。