括られて一叢芒畑の隅
吟行は高取のかかし祭だった。
町おこしの一貫で、城下町の町家沿いに近代的な装いの案山子作品が並べられ、それを一つ一つ巡るのんびりした吟行だが、さすがに町家案山子を詠むというのは季題の本意には遠く、なかなか難しい吟行となった。
そこで、通りから外れた畑などに回って句材を探すことにした。
畑を囲むように秋桜が揺れ、菜畑の大根、キャベツ、白菜も順調に育っているようである。畑には、柿の実もたわわに見るからに生り年の風情を見せるかと思えば、ひときわ色を濃くした石榴も鈴なりである。
背後は、竹林だとばかり思っていたら、どうやら古墳の一角らしく鵙が巡ってくるし、鵯君も賑やかだ。
雨上がりの猫じゃらしがきらきら光り、草むらからは虫の声が盛んに聞こえてくる。
霧がかっていたのがはれて、三大山城の高取城の山がはっきりと見えてきた。
町からちょっと外れたところには秋がいっぱいあふれている。
雨上がりの吟行。
秋色の句材にあふれていますが一つに絞るのは難しいですね。
芒もひところよりきれいになってきました。
一叢芒、秋そのものですね。
今日は吟行ならぬカルチャー教室から出て現地での課外授業でした。
隣接する市にある道風記念館(小野道風)で仮名古筆名品展を講師の解説で鑑賞しました。
全く素人の私には難しくて理解できないことも多いのですが真筆とされるものや原本の写本などに触れるのはやはり源氏物語や百人一首など王朝歌人をしのぶよすがとして価値のある名品で知っている歌人のものには特に引き付けられます。
少しでも読めるとうれしく優美な仮名文字の世界を楽しんできました。
道風の書といえば王朝文化の極みですもんね。心にはいい耕しになったことと思います。
わたしも心に新しい風を入れてやらないと、ね。
秋たけなわの吟行、よかったですね。秋の田野の様子一々納得です。柘榴の鈴なりってきれいですよね。あれは実を食べるというより観賞用なんでしょうね。
25℃超だった2~3日前まではまだセミ(アブラゼミ・ツクツクボウシ)が鳴いてましたがさすがにもう終わりでしょう。ぐっと冷え込んできて風邪に注意の季節になってきました。
石榴には食指が動かないです。昨今は甘い物があふれてますもんね。
蝉と言えば、昨日はまったく声は聞かれませんでした。いよいよ晩秋の趣を濃くしてきましたね。
そう言えば、今日あたりが仲秋の明月でしたっけ?秋の後半に入るわけだ。
当地はあいにくの曇り空で十六夜に期待のようです。