虎のご加護

城落ちて山永らふる秋思かな

一将功成りて万骨枯るというが、そのまた将もいつかは朽ちる。

聖徳太子に信ずべき貴い山と言わしめた信貴山は今も古刹として多くの信心を集めているが、歴史上のあるときは戦国武将の山城として難攻不落を誇っていた。時代の異端児も信長の攻勢にはたえられず爆死を遂げたという話が残っており、その名を惜しんで麓の山城址には立派な弾正の供養塚もある。地元の人に死後も愛された武将とも言えるが、人同様に城もまた虚しく、いまでは森に埋もれてしまって麓からあおぐ山頂にはその形跡すらうかがうことができない。
虎を守護神とする戦の山は今も1400年の法灯を灯しているが。
虎と言えば、CS第一線タイガースは負けたようだ。

“虎のご加護” への2件の返信

  1. 昨年の大河ドラマで初めてその歴史を知ることができました。
    聖徳太子に信ずべき貴い山とは初めて知りました。

    1. 信貴山ホームページに:
      今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

      参考まで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください