共同作業

爺鋏婆は籠もて柿を取る

通るたび見とれてしまう柿の木がある。

この家の生り年、裏年というのは次元がちがうのである。
今年の驚異的な生りようから、去年は裏年であったことが分かるが、それさえも一般家庭の生り年を大幅に上回るできだったのである。
今年も老夫婦が共同して柿を収穫していたが、一枝に十個は軽い成りなのである。二人で毎日十個ずつ食べても年内にはとうてい終わらないほどの圧倒的な数である。洗濯物を入れるような籠に収穫していたが、あれではいくつあっても足りないレベルなのである。
おそらく子供や孫、知人などにもお裾分けされると思われるが、それでも余ってしまうに違いない。
いったいどう剪定すればこんなに生るのだろうか。いつも枝振りを観察するのだがよくは分からない。
分かっているのは、収穫しやすいように木を高くしないということ。元気な徒長枝でもせいぜい高鋏が届く範囲にとどめるように仕上げてある。それは高齢の主人をおもんぱかってのことであろう。
通りから眺められる庭木を見てもプロの植木屋が手がけているのは一目瞭然なので、この一本のコンパクトでいて充実した枝振りの木も職人の技である。
我が家の柿の木も去年から整形の途上であるので、参考になればと眺めるのだが勘所がつかめないのがもどかしい。プロの技の所以たるところであろうか。

“共同作業” への2件の返信

  1. プロの手によれば生育の状況は明らかに素人とは異なるようです。
    譬え果樹ではなくても花木、松の木等明らかで弱った木でも助けてくれるのがプロの腕だそうです。
    まして果樹などの生り物ならばなおさら、肝心なところはプロに任せた方が良さそうですね。

    1. 松は素人では手に負えないことは誰でも分かりますね。そういう木を避けて庭木を選んでるわけですが、やっぱり素人剪定の悲しさ。どの木も可哀想なくらい不細工。

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