田水洩る音して稲の太りそむ
ついこの間稲の花が咲いたと思ったのに、もう実がふくらみ始めている。
こんなに暑い日がつづいても水の恵みはありがたいものである。そのためにこの地の先祖は山の中腹にいくつもの溜池をつくり備えてきた。
逆に米どころ新潟では水不足で悲鳴の声が聞かれる。
やはり水がなくては米も野菜も育てられないというのは自然の摂理。
古今ひとは水をめぐって激しい争いをくりかえしてきた。まさに自分たちの命がかかっているからであり、地球温暖化がすすむなか、今以上に水のあるところ、ないところに二分されるにちがいない。
雨乞いなど地方でいろんな伝説が生まれたりするのも水が関係。
人柱など様々なものまである。
まことに近頃の水は有難くも恐ろしくもある。
生死が二分されると思えば尋常ではいられない・・・
水と火。地球が悲鳴を上げているというより、むしろ人類の危機ととらえるほうが正しいのではないか。原始火の玉であった地球にとっては、この程度の温暖化など屁でもないのだから。
一世代、二世代先の人たちの将来が危ないとさえ思える昨今です。