昃りて藁塚影を失へり
大和郡山辺りも稲刈りが始まったようだ。
刈田の間に乾びた金魚田が点々とあるのはいかにも郡山の風情。
多くは機械で刈って細かく裁断された藁が散乱したままだが、なかには藁ぼっちを組んで干しているのもある。心棒を立て堆く組んで干すと言うより、乾けばすぐに回収できるように、束ねた藁を扇形に拡げてあるだけのものがほとんどである。畑の敷き藁に使ったり、庭木の保護などに使うのであろう。
高く組んだものは冬越しをさせて、堆肥などとして利用するため長期間その場で立っているのだが、化学肥料に頼るいまの農業ではそのような光景はもう珍しい。
簡易藁塚は年内に姿を消してしまうのが通例である。
あの大きな藁ぼうしは一体どんな風に作るのだろう。
作っているところを見たことがない。
やはり心棒があるのですね、子供心にも結構大きな藁塚であった。
飛びついても倒れない、どうやって組みあげていくのかいまだにわからない。今ではまず見られなくなった光景である。
束ねた藁を結び、二つに振り分けしたものを芯棒に架けてゆく。その繰り返しです。
水が沁みないように天辺をカバーするのもあるようですが、通常はそのまま。かやぶきの屋根同様、中までには雨もしみないようです。春先になれば重みやら風などで傾いてきたり、それも風情あります。
昃りて藁塚影を失へり
藁塚を読まれたんですね。懐かしい景色が浮かんできます。日本の原風景ともいえましょうか。
藁塚については、若かりし頃の故郷での作業を思いだします。
当時、父が製縄工場を営んでいた関係で、この藁塚を解体し原料の藁を車で運んでいた日々を、懐かしく思い出します。
でもどんな構造になっていたかは、定かではありません。簡単に解体できたことは間違いありません。
生家の生業と藁。切っても切れない関係にいろいろな思いが去来するにちがいありません。
家庭菜園家にとっては藁とは、カネを出してしか手に入れることができない貴重な資材。裁断された藁が一面刈田に散らばっているのを見ると、もったいないなあと溜息が出るばかりです。
昃りて藁塚影を失へり
「昃りて」の「昃」、初めて見る漢字でした。
「かたぶりて」、或い「かげりて」と読むようで、「陽がかたむいた昼過ぎ」と言う意味がある、と。(語呂としては、「かたぶりて」が好いですね)
陽が落ちて、藁塚=藁ボッチの影が 薄くなって消えていくようだ、って有り様が、とても好いです。
ありがとうございます。
俳句の世界では「ひかげる」とも読ませます。
日が傾いてくる時間の日差しが弱くなった頃合いの様子です。