寄道を知らぬ下校児ゐのこづち
ゐのこづち昭和は遠くなりにけり
小学校から集団下校の子供たちがやって来る。
シニアの見守り隊に引率されて、おおむね皆おとなしく列を作っている。
このままあらかじめ決められた道をたどって家に着くのだろう。
こうした光景を見ながら、記憶は遠い昔をたどる。
めいめい仲のいい連中と連れだって、ときには道端のものに興味を示したり、道連れしたり、あるいはこの後一緒に遊ぶ約束をしたり、とにかくおとなしく帰るだけでは済まなかった日々を。
この時期外遊びすると服のあちこちにゐのこづち、通称ひっつき虫をつけてきて、玄関前などで頑丈なやつをはがしてから家の中へ入ったものだった。
これを互いに投げ合って相手の服に命中させる遊びもよくやった。
昭和はもはや記憶の遠いかなたにある。
学校から一番遠い集落にあった我が地区。
学校の帰りにはまともに家路についたことはまずなかった。
道草は当たり前、おしゃべりに花が咲きあちこちジグザグになり時には田畑の真ん中を通ったこともある。
車と言えば定期バスぐらいで道端で遊ぶのにも危険はさほどなかったといえる。
今の都会では想像だにできない。
大人からみれば数キロの通学というと大変だと思われるが、当の子供たちには天国。上級生が下級生の面倒見ながら、社会形成にも一役。子供たちの成長につながる時間でもありました。
今は、通学時にもいじめがあったり、暗澹たる思いに駆られます。