天覧の相撲の先祖や歌まつり
秋場所開催中ですが、桜井市は相撲の発祥地とも言われています。
垂仁天皇の時代、出雲から呼ばれた野見宿禰(のみのすくね)と地元の当麻蹶速(たいまのけはや)が天皇の前で戦い宿禰が勝ったとされる話で、これが天覧相撲のはじめだとか。
桜井市の駅前には、「仏教口伝の地」とともに「相撲発祥の地」と大書された看板が目を引きます。
このほかにも市町村合併により桜井市は遺跡の多さを誇っていますが、立地的にも東・伊勢への入り口を背に東西南北交流の要にあり古くから栄えてきたことは容易に想像できるものがあります。
そう言えば三日前の「八十の衢に」で聞いたYouTubeでのうた語りで子どもが詠っていた三首のうちの一首、相撲の歌でしたね。
もう一度聞きなおしてみたら確かでした。
巻向にある相撲発祥の地、相撲神社の歌碑と解説していました。
歌の内容まではちょっと聞き取れませんでしたけど・・・
少し気がかりで犬養「万葉の旅」を調べてみました。
巻向に関する歌です。
纏向の 穴師の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつぞ来し 巻12-3126
他に茂吉万葉秀歌下巻より
あしひきの 山かも高き 巻向の 岸の小松に み雪降り来る 巻10-2313
巻向の 檜原もいまだ 雲ゐねば 小松が末ゆ 沫雪流る 巻10-2314
二首ともに柿本人麿。
どうも相撲の歌ではなく相撲神社の歌碑の歌で巻10-2314がよく聞けば子どもが朗詠した歌のようです。
引率の先生も歌碑巡りを10回予定していると言ってましたので、相撲神社にある歌碑を題材に朗詠したんだと思います。
桜井市、東西・南北の交通の要所なんですね。
そうですか、相撲は万葉の時代からですか。そんな大事な日本の国技が今や何たること。これでは古代の先人に顔向けできないですね。モンゴル対モンゴルの全勝対決なんてやめて欲しいなあ。。
実際に現地に立てば桜井市のあたりが要だということがよく分かります。飛鳥、桜井、天理、奈良あたりは大和川の上流部分、下流へ行くほど当時は湿地帯として管理するのは大変だったのではないでしょうか。地図では平面にしか見えませんが、大和盆地は大和川に沿ってはっきりとした傾斜がついているのがよく分かります。だから、有力豪族の所領地は盆地中ほどにはなかったのではないかと思います。