貞享四年とは

水船は江戸期と伝へ水澄める

八幡さんの祭は今日が本宮祭なので、句材を拾いに出かけてみた。

17世紀の創建という神社には何度か散歩の途中に寄っているが、手水舎の水船の銘は間違いなく貞享と刻んである。同4年(1687)には生類憐みの令が出された。その5年前には八百屋お七の起こした江戸大火、翌年は元禄元年という頃である。
普段は水も流されてないはずだが、祈願祭の今だけは竹の樋からとろとろと澄んだ水が流れ込み、あふれた水は地面にそのまま吸い取られるように染み込んでいく。

この水船は当町で一番古いものだと教育委員会の折り紙付きだから、あの龍田大社のものより古いことになる。自然石をそのまま穿っただけの素朴な細工だが、氏子たちが綿々と大切に守ってきたのがうかがえる味わいのあるものだ。

“貞享四年とは” への2件の返信

  1. それぞれの地域には伝統的なお祭りがあるものですね。
    特に秋に多いようですがそれは収穫の時期にちなんでいるのでしょうか。
    昨日三浦佑之氏のHPを見ていたら新宮の速玉大社の例大祭「御船祭」を見学したとありました。

    それに比べ我が校区には神社仏閣は一つもありません。
    珍しい地域だと思います。

    1. 春は五穀豊穣、子孫繁栄を祈ったお田植え祭、秋は収穫に感謝し、それ以外はそれぞれの事物、所縁にちなんだお祭りに分けられるのでしょうね。
      神社仏閣がないというのは、少なくとも明治以前そこに人が住みついた歴史がないということでしょうか。明治以降で新しい神社というのは護国神社、国魂神社くらいでしょうから。濃尾の広い田園地帯が広がっていたのかもしれませんね。

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